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【休学×セブ島留学】自由な人々、自由な環境、自由な価値観
こんにちは。
最近は専ら遠藤周作の著作を読みまくっているイトウです。”深い河”が一番のお気に入り。
さて、こちらは前回の記事。
内容としては「セブ島留学での日々」についてでした。
今回は、休学中に経験したセブ島留学生活での印象深く、そして少なからず私に何かをもたらしたであろう思い出たちについて振り返ってみます。
空気を読むのがバカバカしい・・・
↑カオハガン島の青空教室
フィリピン人は無類のダンス好きで、歌好きである。
セブ島には「ズンバ」と呼ばれる伝統的なダンスがあって、朝早くから語学学校の共同スペースで、先生たちが派手に体を動かしながら踊りまくっている。
毎朝のズンバはもちろんのこと昼や夜にも踊り、その頻度といったら、BGMでいつもかかっていたSiaの「Chandelier」を、3ヶ月後には無意識に口ずさんでしまうレベル。とにかく、留学生活中は私の頭の中でずっと流れていた。
また、フィリピン人はよく歌を歌う。
一人であろうと、周りに人がいようとおかまないなしでだ(しかも、みんなやけに歌が上手い)。
この文化は空気を読むことが暗黙の了解である我々日本人からすると、ちょっと考えられない。
いつも大きな声で歌を歌いながら歩いていると周りからどんな目で見られるか、多くの日本人は気が気でならないだろう。
しかし、彼らは御構い無しである。カルチャーショック恐るべし。
こんな環境で何ヶ月も暮らしているうちに、気づいた時には自分自身も時折、人前で歌を歌う癖がついてしまった。さすがに日本に帰国して、再び日常に戻ってからは歌ってないが。
開放的なフィリピン人がそうさせたのか、あるいは開放的な環境がそうさせたのか、それは定かでない。
けれど、この経験を経てからだろうか、”日本の空気を読む”という文化の息苦しさを前よりも意識するようになった。
そして、休学前は自分の選んだ“レールから外れる”という決断に対して、絶対的な自信はなかった私だが、セブ島での生活に慣れて行くにつれ、その不安も日に日に薄れていった。
「どうして周りを気にする必要があるのか?」
私は、異文化に触れることで、偏った価値観を俯瞰的に見ることができるようになっていったのだった。
”日本の変”は海外の”Awesome(イケてる)!”
留学していた当時、私は髪の毛の襟足の部分だけを金色に染めていた。
これは意図的にやったことであり、十分なお金がなくて全体を染められなかったとかいう訳ではない。
あくまで自分の意思で染めたのだ。特に深い理由はないけれど。
(あるいはアイデンティティーだとか自分の存在意義に関してあれこれ悩んでいたのかもしれない、と今は思う)
↑シカゴ出身のアメリカ人と人生について語り合った、出会ってから3分の出来事
彼曰く、「Life is a journey.」らしい
そんなこともあって、「Weird Hair Japanese boy(変な髪の日本人)」として、私はフィリピン人講師たちによく知られていた。
気づけば彼らとはすぐに仲良くなって、本当に色々な話をしたのだが、その中でも特に印象に残っていることについて紹介しようと思う。。
「大学生活が本当に退屈で、全くもって価値を見出せなかったので、ここに逃げてきてしまった」
私は当時、よくそんな思いの丈を彼らに聞いてもらったものだった。
この思いは、半年間の休学生活を終えた今でもそんなには変わらない。
日本の大学は入るのが難しくて、出るのは簡単。
入った時は頭がいいのに、四年間ダラダラした結果、無能になって社会に出て行く(あくまで主観)。
授業中にスマホをいじるわ、惰眠を貪るわ、授業にすら出ずに代返してもらうわで、本当に悲惨なことになっているのだ。(もちろん大学生側を非難するつもりは全くないので悪しからず)
そんな日々に疑問を呈し、こうしてセブ島へとひとまず逃げてきた私であったが、日本では突飛な行動として扱われたものだった。いわゆる「社会のレールから外れた」のである。思い切り踏み外してやったのだ。俗にいう「ドロップアウト」というやつである。
しかしながら、そのような話を先生たちや台湾人の友人たちにすると、なぜかよく賞賛された。本当に意外な反応だった。
「若いのによく考えているね!Sophyticated(素晴らしい)!」
といった具合に。
当時「俺は間違ってないぞ」と信じてはいたものの、日本にいる限りは白い目で見られるのですっかり自信をなくしてしまっていたというのが本音である。
それに休学や中退と聞くと、怠け者のように思えてしまうのは確かに理解できる。
けれど、全く違う環境に飛び込んでみると、常識や価値観の枠組みが違うため、全く異なる評価を受けることになるという当たり前の事実を見に染みて感じた。
休学したことが正しかったのか、同級生が大学に通って授業を受けているのになんでこんなリゾート地にいるのだろうかとかふと考えることもあったが、こうして沢山の人達に認められたことによりだんだんと自信が出てきて、勉強にも身が入るようになった。それに、自分自身の取った選択に対する後悔の念も薄れていった。
もしあなたが何かに苦しんでいるのだとしたら、あるいは現状に不満を抱えてていたり、やりたいことがあっても周りに否定されているのなら、是非とも環境を変えてみることをオススメしたい。
世界のどこに行ったって批判されるなんてことはそうはないし、場所を変えれば評価だって自分自身の気持ちだって変わってくる。
日本で”変”と言われても、海外では”Awesome!”かもしれないのだ。
狭い世界に囚われて落ち込む必要は決してないし、体裁を気にして無理に周りに合わせる必要もない。
自分の心の声と直感をどうか大事にしてほしい。
お酒の席は出会いの場
とにかく最初の1ヶ月は酒を飲んだし、酒に飲まれたものだったと記憶している。
授業後の復習が終わったら、必ず誰かしら飲みに誘ってくるからだ。
そして、フィリピンビール”サンミゲル”で乾杯!お決まりのパターンである。
「もうアルコールの匂いなんて嗅ぎたくない!」というくらい飲みに飲んだ。
↑語学学校卒業パーティの写真
けれど、そんな毎日も今は愛おしく思えるし、良い思い出である。
とにかく色々な人と話し、冷たいビールを一緒に飲んだ、そんな幸せで価値のある日々であったと強く思う。
夏休みの時期には日本中から大学生が集まっていたし、仕事を一度辞めて来ている社会人、台湾人やロシア人の学生、その他様々なバックグラウンドを持つ人たちと共に、毎晩のようにレストランへと足を運んだ。
別に国内で会うこともできるし、セブ島である必然性は無いような気もするけれど、”異国の地で一緒に冷たいビールを飲みながら”というのが最高なのである。あるいはこの非日常感が、出会ったばかりの私たちの距離感を縮め、会話を弾ませたのかもしれなかった。
こうして、この1ヶ月間の”サンミゲル地獄”を通して、沢山の発見があったし、選択の幅や自分の見える世界が少しは広がったように思えたし、台湾人の兄弟(今でもブラザーと呼び合っている)もできた。
本当に新鮮で、刺激的で、愛しい思い出だった。
セブ島生活を終えて
このように私は休学期間中の留学を通して、数え切れないほどの刺激的な経験をすることができた。
それらすべてが良い思い出だったかと聞かれると自信はないけれど、全く後悔していないというのが本音である。それくらい価値のある日々だったのだ。
今こうして縁あって私の記事を眺めている方の中にも、何かしらの理由から休学をするか迷っている人もいるかと思う。
「休学」は文字通り学校を休むことで、世間では望ましくない行動とも言われているが、私はそうは思わない。
少なくとも、行きたくもないのに我慢しながら大学に通い続けているか、もしくは大学を離れてでもやりたいことがある場合、あるいは淡々とした大学生活に不満があるのならば、一旦大学から距離を置き、一年間くらいフラフラすることも選択肢の一つとして全然アリだと強く思う。
「一年間(半年間)という空白の期間」の中では、何をするのも貴方の自由であり、行きたい場所があれば行けば良いし、会いたい人がいれば会えば良い。全ては個人の采配と行動によって決まってくる。
そして、周りに大学の友達はいないので孤独ではあるが、同時に自由と孤独に耐える強さを得ることになる。
大変かもしれないし、心労もいくらかあるとは思う。
が、強い意志を持ち、コンフォートゾーンから一歩外に踏み出し、個人の目標達成・自己実現のため、一人戦う日々には大いなる意味と価値がある。
これは私が身をもって得た教訓であり、そして今もなお、揺るぎなく信じている。
自由な大学生活と人生を!
最後に、私には休学経験者として伝えたいことが一つだけある。
それは、休学期間を通して経験する孤独になる期間も、今までやったことのない挑戦も、魅力的な人たちとの出会いも、必ずやあなたの学生生活引いては人生を豊かにするだろうし、カラフルに彩りを添え、より濃いものにしてくれるということだ。
そう考えると、長い人生で少しくらいフラフラしたり、心の赴くままに過ごしてみるのも悪くない気はしてこないだろうか?
とにかく、何事ももっと自由に考えて欲しい。
自由に捉えて、自由に考えて、自由に行動して、自由に人生を歩んで行って欲しい。
もちろんそこには責任がのしかかってくるけれど、あなたのやりたいように、瞬間瞬間に興味のあること・面白そうなことに飛びついてみることが大事で、その積み重ねが良い大学生活、良い人生を作るのだと私は強く思う。
結論=悩んでいるのなら、思い切って休学しちゃえ!案外どうとでもなるよ!
読んでくれてありがとうございました!
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