前回の記事⇒idling~空回りする日々を越えて~
バスに揺られて辿り着いたのは宮城県登米市のお寺。
本堂の離れのような場所に約50人で雑魚寝。
内陸部に位置する登米市は大きな被害はなかったものの、物流はやはり止まっていてガソリンを手に入れるのが困難な状態だった。
大人数での活動だったゆえに、アイスブレイクを行ったり、また活動内容や被災状況の最終確認を行ったり。
ただし、この段階ではわからないことが多く、現場最前線の僕らに判断を委ねられることになる。
どんな活動だったのか。
一言で言えばそれは調査活動だった。
エリア毎に担当を決められ、該当地域の避難所をまわる。各避難所の代表者に話を聞き、ニーズを探る。
ターゲットは各避難所のマイノリティ。
障がいのある方、高齢者、幼児、妊婦などなど。
そのようなスペシャルニーズがあったときは団体を構成するNPOがその得意分野を生かして対応する。
障がい者支援、教育など様々な分野で活躍するNPOのメンバーが集まっていた。
登米に到着した次の朝、避難所訪問を開始した。
ぼくが向かったのは南三陸町。町民に避難を呼びかける防災無線アナウンスを流し続けて逃げ遅れた町職員の女性がいたというエピソードに聞き覚えはあるだろう。
それが起こっていたのが南三陸町。宮城県の北部、気仙沼市と石巻市に挟まれるような形で所在する。ワカメやタコなどの漁業が非常に盛んな町だ。
登米から一つ山を越えて南三陸町に入ると景色が一変した。移動中の車内から会話が消える。
そこら中に転がるもともと家や車だったのだろうと想像できる瓦礫。ひしゃげる線路に骨組みだけ残った建物。
見渡す限り建物と呼べるものはない。高台にちらほらと住宅と学校があるだけだ。ただただ唖然としていた。
ここには何があったんだ。
南三陸なんて町が本当にあったのか。
車は進み、初めて足を踏み入れる避難所に到着。
とりあえず管理人さんにあいさつ。団体の説明をして、何を聞いたらいいのかもよくわからないまま、用意されたチェックリストの項目を埋めていく。
比較的大きな避難所で、宿泊設備も備わった町の研修センターのような場所だったからさほど問題もないようだった。
駐車場では炊き出しが行われていた。
避難している方は体育館のような場所で雑魚寝をしていた。段ボールで作られた居住空間。
イメージ通りの避難所がそこにはあった。
居住スペースに入れてもらったはいいが、誰かに声をかけていいのかもわからない。
なんと表現したらいいのかわからない異様な雰囲気。
そこには笑い声なんてなかったし、物音ひとつしなかった。
だけど確実にそこに人がいた。
タバコなんか吸えるわけもないから得意のタバコミュニケーションも使えず。
とにかく圧倒されただけだった。
まだ電気も水道も通ってない、ガスは流されてきたプロパンのボンベを使ってどうにかしているという状況。
メシは炊き出しで落ち着いていたが、風呂には入れていない。そんな状況。
そんな中、淡々と避難所をまわる。
与えられた役割をこなすだけ。どこに行っても団体がケアしようとしていたニーズなんて拾えない。成果が見えない。
結局コミュニケーションもうまく取れないまま。


