前回の記事では就職活動開始当時の自分について書いていきました。
東日本大震災の発生と行き詰まる就活。
行きたいとは思っても、そんな状況でもなければツテもなかったぼくは、とりあえず募金活動ならできるのではと思い立った。
今でこそ絆という言葉が安っぽいほどに酷使されているけれども、ぼくはこの時法学部の仲間のつながりを、絆を意識したいと思っていた。
街頭の募金箱にお金を入れることはできる。
ただ、それは言ってしまえばいつでもできる。日常にある風景のほんの端っこに佇むさりげないもので、そこにお金を入れてもその場限りの自己満足に終わってしまうような気がした。
だからぼくが主導して法学部の仲間からお金を集めたいと思った。
そうすれば、あの時お金集めたよなーってきっと思い出せると思った。
それにぼくらだけでこれだけ集められるんだ、法学部もなかなかやるじゃん。みたいなのを感じてほしかった。
さっき街頭募金を自己満足って書いたけど、こっちのほうがよっぽど自己満足なのは承知。決して被災地を第一に考えたものではなかった。
ただ、それこそ普段の仲間の絆を強めたいという一心だった。
しかし、ぼくの仲間は頭が良く現実的でもあった。
自己満説を指摘され、また周到な準備をしてなかったぼくは、集めたお金どうするのかまで考えられていないままmixiの日記にリリースしていたから、その指摘も受け賛同者を得られなかった。
自分のアホさへの恥ずかしさと気持ちが伝わらなかった悔しさを抱えて悶々とした日々を過ごす。
ちらほらと再開する企業の採用活動。
そこに一報が舞い込む。
だいき、ボランティア行かない?
ある授業で一緒になり、仲良くなっていた男からの誘い。
彼が入っていたNPOを含めたいくつかのNPOが共同で支援活動を行うという。
気持ちは即決だった。
とにかく現場を見たかった。何ができるでもないことくらいわかってた。
このままじゃ他人事になってしまう。こんなに大きな出来事が。募金での失敗以来、すでに心は萎え始めていたから。
この震災を自分事として捉えるには足を運ぶ以外無いと思ってた。
スケジュールの整理をつけて4月3日、震災後の宮城県へ。
大型バスに揺られ、那須を越えたあたりから道路に激しい起伏が感じられるようになる。
そしてたどり着いた宮城。ところどころに亀裂が入り、爪痕を見せつける仙台の街。
高速道路を境目に海沿いはなんとも言葉にし難い光景が広がる。
思考は止まっていた。ついに来てしまったという感覚。
そして始まる寺での寝袋生活。
ぼくはこの生活のどこに休学への道を見出したのだろう。
深尾 大樹
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