前回記事:それは夢中になってることか? ~行動こそが不安への良薬~
こんにちは!五味です(^▽^)
いきなりですが、これ見てください!
どん!
箱根駅伝のシーズンがやってきました!
それまで駅伝なんて、そんな長いの見れるもんじゃないでしょ、ってかんじだったのですが。
が!レディ・ガガー?!
高校三年生からどっぷりハマりました。
上の写真はその年のもの。
5区までは早稲田大学が1位だったのですが、東洋大学の山の神さま・柏原竜二くんが、早大5区の猪俣くんを山で抜いたのですよ。ふたりの死闘は歴史に刻まれるものだったし、神さまに抜かれたあとの猪俣くんの追い上げがとても印象的でした!猪俣くんって選手は、一般入試でエリート選手ひしめく早大に入り、故障に悩みながらも最後の最後、4年生で5区を任されるんですよ。結果的にその年は彼の活躍もあり、早大が大手町で渡辺監督を胴上げするのです。
彼の座右の銘は「念ずれば花開く」だそうです。
ケガで思うように走れないときもあるし、練習もしんどいけど挑み続ければ、なにか変わるかもしれない。駅伝の人間、人生物語にはとても魅力があります!
あーーー、箱根駅伝を見れないことは、2014年惜しいことしたランキングトップ10入りを早くもはたしてます・・(;_;)余談ですが、その次の年に優勝した、東洋大学の山本憲二選手は休活ブログを運営してる、まなぶさんに似てます。
さて!
前回の記事では「どうして1年生で休学したか」を書きました。
そして今回は、フィジー留学と世界一周についてのおはなしです:)
高3のお正月、わたしは箱根駅伝とAqua Timezの「プルメリア」って曲に元気をもらいつつ、受験勉強してました。
こんな花です。
数年後、そのプルメリアの髪飾りをたくさんつけたひとたちがいる国・フィジーに英語勉強しに行くとは思ってませんでした・・・!
フィジーという国のことは、高校時代の先生が教えてくれるまで知りませんでした。彼は青年海外協力隊としてモンゴルに行ったり、一言で言えば、まぁちょっと特殊な先生で、そんな彼の協力隊時代の友達(そのひともまた、とても多くの国を旅してきたそうで、最終的にフィジーに住んでいる)がSouth Pacific Free Bird、通称フリーバードという、わたしの通った語学学校で働いてるってはなしから、フィジーのことを知りました。
わたしの留学の目標は
「英語に触れること」
「日本と違った生活を経験すること」でした。
なのでフィジーを選んだのですが、それはザッツライトでした!
生活面では
・シャワーは基本的に水で、たまに水自体がでなくなったり(ストップウォーター。いちどリンス流すまえになって、洗面器に水くんできてもらって流した。ライク・ア・修行)
・基本的にバス移動だけど、時刻表なんて存在しない(降りるときは上に紐があって、それを引けばベルが鳴って降りる合図となる)
・フィジーにはフィジアン、インディアンの2種類のひとたちがいて、ホームステイのひとたちはそれによって、イモorカレーばかりのごはんになるかが決まる
と、日本との生活と比べたら、枚挙にいとまがないほど不便です。。
ががが!
寮から見える綺麗な夕日を見て「わーきれい!」ってみんなでわいわいしたり、牛タンパーティーだといってやったものの、1人2切れしか食べれず、結局みんなパンを食べ始めるとか。そんな生活がわたしはとてもすきでした。
在学していたころ、wifiがテスト運用されて、みんな夜にネット使うんで外出るんですよ。
いちおう門番がいて、そのひとたちの横でみんな使うんです。
ドミトリーにはママというひとがいて
↑デカいバナナをもつママ
ママは夜になると、門番のひとたちとアイスを食べながらお話して、そんなママたちの横でみんなもネット使ったり、おしゃべりしたり、はたまた自習をしたりしてました。
そんな姿を見て、しあわせだなと感じる自分がいたことを思い出します。
不便な生活だからこそ、あるものから幸せを感じることができるんだな。
ただ、1日で2Lのアイスは食べ過ぎだと思いました。
つぎに学校のことをお話したいんですが、すごく個性的な先生をひとり紹介します!
彼女の名前はエタ。
通称・クレイジー・エタ!
授業中、みんなのまえで、いきなり「そういえばお前、あの彼氏とどうなった?」とプライバシーもクソもない話題をぶっ込んでくる彼女。覚えたての日本語で下ネタもガンガン言います。あんなにクレイジーという言葉がぴったりなひとは、なかなかいないです。
↑シャッキーン!謎のダンスを踊りだすエタ。
けど、そんなエタに、なぜかわたしは惹かれていて、どうしてかというと勉強したいって生徒に放課後や日曜日まで付き合ってたり、高校卒業したての18才の子が「自由だから」という理由で、パートタイムジョブで生きていくというスピーチをした際に、何度も何度も質問を繰り返して「それでいいのか?」と問うていた姿を見たからだと思います。
エタはわたしが卒業するまえに、モンゴルへ転勤しました。
彼女を空港まで見送ったひとの数は、クレイジーなことばかりをしながらも、彼女がしっかりと生きた証のような気がしました。
エタしか紹介しなかったけど、日本人も含め、フィジーの学校にはおもしろいひとがたくさんいました。体感的にですが、日本人のともだちで多かったのは、ナース、美容師、学校の先生でした。他にもアシスタントモデル、舞台女優、海外の大学院を目指しているひと、70代の方、親子、会社の休暇を利用して来た方などなど。
こうした、さまざまなバックグラウンドを持つひとたちとの出会いは、留学の魅力のひとつだと思います。
ちなみに休活ブログのメンバー・トライアングルこと三角望夢(彼とはクラスがいっしょでした。)、橋本果奈さん(学校おなじですよね?)もフィジ友で、わたしとは違った目線でフィジーのことを書かれると思うので、ぜひ参考にしてください(^o^)/
さて。
そんなこんなで学校に通っていたら、ぐうぜん現地に住む日本人女性のいくよさんという方に、スーパーでお会いしました。彼女はフィジーで結婚しており、それまで海外に移住した日本人と接することのなかったわたしは、夢中で会話をしました。話題が「どうして世界一周をしようと思ったのか」になったとき、わたしはいくよさんのまえで雄弁に語りました。
すると、いくよさんが一言。
「フィジーではどんなに親しい間柄でも、自殺したひとのお葬式に行かないらしいよ」
そのはなしを聞いたとき、なにか頭をカチ割られたような衝撃が走りました。
この話の自分なりの解釈は、「一生懸命生きないやつは許さない」です。
なんにもない自分から抜出したくって決めた、世界一周。
「世界をみてみたい」という気持ちに疑いはなかった。
けどいつの間にか、一周だの、一部の大学生で流行っているだの、変なしがらみや、自分のパーソナリティを表すための世界一周じゃないかと嫌気がさしてきました。
フィジーで過ごして思ったことは「生きている」ということ。
「どこにいっても同じようなものだし、旅する数だけ危険も増えるしね。それか村にステイしてみるのもいいかもね。そこのひとたちは、石けん1つ買うのにすごく苦労するけど、仲間のことはすぐ助けるんだよね。」
いくよさんはそう言いました。
それまでわたしは、どこまで見るべきなのかわからなくなっていました。
けどそうじゃなかった。
「世界を見る」んじゃなくって、わたしは「世界にいる」。
そこから感じるんだ。
いろんなことが起こっているけど、きっと、自分に必要なことって、自分に必要なタイミングでやってくるような気がする。だから、これでいいのだ!
そんなこんなで、わたしはオーストラリアでワーキングホリデーをしたあとに、シベリア鉄道で旅することにしました。モンゴルを通るときには、クレイジー・エタを思い出そうと思います;)
と!
駆け足ですが、フィジーで過ごしたあれこれでした。
さいごに留学した身としてアドバイスですが、わたしのように、英語の勉強に重きを置いてないひとはフィジー、そうでないひとは別の国を探してもいいと思います。
なぜならフィジーには語学学校の種類が少ないからです。
フィジー同様、安さが魅力なフィリピンは、まなぶさんにアドバイスをもらうのが適任だと思います。
あと留学のゴールを決めること。
フィジー前後に別の語学学校に行く人って、少なくありません。
日常会話程度でOKとか決めないと、キリがないなと思いました。
フィジーっておもしろいひと、多い気がします。
なのでぜひ、フィジーを体感してもらいたいな(^O^)v
ちなみに大阪にフィジーバーがあるらしいですよ!
お酒飲まないけど、あのちりちり頭見たいから行ってみたいなあ。
今回も読んでいただき、ありがとうございます:)
次はオーストラリアdeワーキングホリデーなおはなし、書きます。
年明けですね!
また、よろしくお願いしますー!!!
やや早めですが、
Have a nice X’mas, and New year ^o^
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