前回の記事はこちら⇛ 1. “言い訳”×”後悔”= 「休学」〜社会人の僕が休活BLOGを書く理由〜
「っしゃー終わったー飲みいこうぜー!」
「えー、俺今日バイト!」
「じゃあまた来週なー!」
…こんな会話で終わる大学生の日常。
2008年に大学に入学した僕は、そのど真ん中にいた。
<理由をつけては、何一つ行動を起こすことなんてなかった>
楽な単位を探し、レジュメだけゲットしたら教室からは即退散。
朝はゆっくり寝たいから1限の授業は極力減らして、夜はバイト。
授業中はうわの空。開いているのは教科書ではなく、mixiの画面。
今はmixiよりもTwitterとかLINEだな。
いや、そんなことはどうでも良くて…。
そう、大学1、2年生の僕は間違いなく、そんな絵に描いたような”よくいる大学生”の1人だった。
バイトして、飲みに行って、それで手帳が埋まってニヤニヤする。
大した予定なんて入っていないのに、授業中に手帳を出して、予定を書き込む。
mixiでグループを作ったり、メーリスを作ったりして仲の良い連中と遊びに行く。
当時の僕は、みんなが自分と会っている時の顔しか見ようとしていなかった。
「勉強?…いやいやしてないからー!」と言っている友達の言葉を疑うこともなかった。
「まあ毎日楽しいし、大学生活まだまだ長いし、いいっしょ。」
そう理由をつけては、何一つ行動を起こすことなんてなかった。
1年生の中盤からは、塾講師のアルバイトが楽しくなった。
旅に出る直前まで、約4年半続けたバイト。大学生活で唯一続いたこと。
中学の頃の塾の先生に憧れて始めた初めてのバイトは、思っていた通り楽しかった。
自慢じゃないけれど、2年目にはベテランの先輩と並ぶくらいの担当生徒がいたし、徐々に教室の運営にも携わるようになっていた。
2年生になると、ダーツにハマった。
学校の空きコマにダーツバーに行き、終わったらバイトまでダーツ。
バイトが終わったら夜更けまでダーツ。休みの日も、友達と会えばダーツ。
そうして僕の生活は、バイト>ダーツ>学校というようになっていった。
入学当初は教員免許を取ろうと思っていたんだっけ。
ガイダンスにいって、「本当に先生になりたいんじゃなければやめておけ。」と諭されて断念。たぶんこれは本当にやりたいことじゃなかったんだ。
夏休み直前。大学で配布されている「ボランティア・スタディーツアー」のパンフレットを見た。行ってみたいなーと思ったけれど、カンボジアがどこにあるかも知らなかったし、ボランティアってなにするの?という状態だった僕は、その冊子をそっと机にしまった。
「大学に入ったら、英語くらいはちゃんとやっておかないとなー。」
「バイトしてお金貯めて、海外にいっぱい行きたい!」
大学入学当初はそう思っていたはずだった。
蓋を開けてみれば、時間がないことやお金がないことを言い訳に何もしていなかった。
<お金や時間を理由に何かを諦めることは、とても簡単だ>
とても簡単だけれど、それを言い訳にしているうちは絶対に行動は起こせない。
本当にやりたいことなら、そのために他の時間を削ったり、バイトを掛け持ちしたりできるはずだ。
当時の僕はそれを実行しなかった。
そこまで英語の必要性を実感していなかったし、海外への魅力も感じていなかった。
なぜかって?
英語が喋れたらどんなに楽しいことが待っているかとか、海外にどんな世界が広がっているかということがリアルに感じられなかったからだ。
ただ漠然とやりたいと思っていたことは、心から実現したいと思うようなことではなかった。
未知の世界に飛び込むよりは既存のコミュニティでぬくぬく生きているほうが楽だし、その居心地の良さから抜け出すほどの魅力に触れる機会すらも作ろうとしなかった。
リアルなイメージが持てないと、人間は行動を起こしにくいようにできている。
ましてや海外に行くとなると、危険なイメージや苦労するイメージを払拭するくらいの良いイメージが持てないと行くのを躊躇ってしまう。
そうしているうちにも日々は流れる。
何かに一生懸命になっていようと、いくら怠惰に生きようと、時間は同じように流れる。
気付くと目の前にあったのは、「就活」の二文字。
いつのまにか僕は大学3年生になり、就職を考える頃合いになっていた。

6月23日:【ブログライターとの座談会】
ブログだけでは伝えきれない情報や体験談、当時の考え方等を悩み/不安のある学生の方々と会ってお話をしたいと考えています。まだまだ参加枠がありますので、よろしければどうぞ。