休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
骨髄移植と免罪符生活の向こう側~白血病患者が生きる道~
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前回記事はこちら→【拡散希望】白血病って、誰でもなるよ。
こんばんは。骨髄移植経験者の吉澤です。
   
最近一気に寒くなりましたね。
夜なんて毛布にフトンかけないと乗り切れないですよね。
私は去年この時期からひどく乾燥肌に悩まされました。
骨髄移植するまではこんなことなかったのに、お風呂上がりとかは肌が痒くて痒くて仕方なかったのを覚えています。
ご想像の通り、こういった皮膚疾患も骨髄移植の影響であります。
幸い今年はまだそういった状況には陥っていないので助かっています。
私は本当に幸運です。
     
小児科で10ヶ月にわたる治療を乗り越えた私は、無事退院し再び地元の小学校に通うことができるようになった。
それから中学・高校と、大学に入って体調がおかしくなるまで、普通の生徒となんら変わりなく、平凡な日常生活を送った。
勉強して、遊んで、部活して、恋愛して、
本当に小児がんになんてかからなかったんじゃないかと思うくらい、充実してありふれた日々だった。
全く病気のハンデを感じず、むしろアドバンテージすらあるんじゃないかと思うくらい、うまくいっていた。
  
当時はそう思っていた。

でも今思い出し振り返ると、そう認識して生活していた自分がものすごく腹立たしいし、情けない。

なぜなら、

病気という 免罪符を振りかざし、
自分の思うとおりに事が運ぶ世界に、
何の違和感もなく、
何の罪悪感もなく、
ただただ満足していた自分がいたから。
 

免罪符生活

 嫌いなもの、苦手な物は全て病気のせいにして避けてきた。
マット運動、跳び箱、水泳。
 
「病気の関係で医師から止められてるんです」
 
元々小学校や中学の先生達は私の病気のことをよく知っているので、この一言さえ言えば何でも免除された。

先生はもちろん、友達も病気のことを知っているのでみんな優しく、丁寧に接してくれていた。
後から友達に聞いた話によると 、先生方から
 
「吉澤くんには絶対に手を上げちゃいけない」
 
みたいなお触れが出されていたらしい。
血小板が通常よりも少なかったため、万が一のことがあってはならないからだ。
さらにたちが悪いことに、勉強や部活の成績もよかったため、勘違いに歯止めがかからなくなっていた。
学校でももてはやされ、部活の大会に行くたびにもてはやされ、
完全に自分中心で世界が回っていると錯覚を起こしていた。
これが中学までの話。 
 

高校に入ると自分の過去のこと、病気のことを知っている人はほとんどいない。
今までの免罪符生活をリセットするには持ってこいの新生活のはじまりだった。
クラスメイトは理数科ということもあったためみんな自分よりも優秀で、出鼻をくじかれた。 
こうして高校三年間、クラスの中においては勘違いを起こすことはなかった。
今思うと絶好の高校生活のスタートだったと思う。
 
問題は部活というコミュニティにおいてだった。 
全国大会出場という肩書きを引っさげて、高校でも卓球部に入部し、 
上級生を押しのけて、すぐに団体戦のレギュラーとなった。
 
まあここまではよかった。
  
先輩たちが引退して自分たちの代が最上級生になった時に、またあの感情が芽生えたのだ。
同級生たちが自分の病気についてそれとなく知っていたのだ。

 「吉澤には手を出してはダメ」 
 
彼らの頭にこの言葉が染み付いた。
 
 
また逆戻りした。  
彼らに刷り込まれたお触れを逆手に取って、リーダーシップの次元を超えて部活を仕切った。 
誰も意見を言ってくる人はいなかった。
 
ところがダブルスのパートナーだったKはすごく意見を言ってくる奴だった。
Kとはすごく対立した。
 
取っ組み合いになりそうなくらいヒートアップしたこともあったが、この原因もほとんど私の上から目線からの挑発であった。
どれだけ強気でいっても最後は相手が折れるだろう、
 
今までがそうだったように空虚な自信が私の心を支配していた。
 
しかしKはある日私に手を上げた。というかものすごい蹴りを入れた。
 
完全にプチンとキレたのだろう。
当時は、「なんだこいつは!蹴りやがって‼︎」くらいしか思わなかった。
 
 
 
 
小児科入院を経て、特別扱いに完全に慣れ、それが当たり前になっていた。
 
別に特別扱いしてくださいと頼んだわけでもないのに、みんな優しくしてくれる。 
愚かな私はそれを歓迎し、自ら免罪符を振りかざしてきた。
 

でもずっと心のどこかで何かがひっかかってこの免罪符生活をやめたい、これじゃ自分がダメになる、
そう思っていたんだと思う。
でなければ絶対Kに蹴られた時にやり返してたはずだから。
 
 
 
 
移植してちょうど一年が経った日、私はドナーさんへの手紙を書いた。
(ドナーさんと患者間の連絡の取り合いは原則禁止だが、最大二往復の手紙のやりとりが許されている)
 
かなり乱雑な文章でわけがわからなくなってしまったが、ありったけの感謝の言葉を書いた。
 
言葉を綴る手の動きが止まらなかった。
 
とめどなく湧き出る感謝の思いに、いつの間にか涙が溢れ出ていた。
と同時に、骨髄移植をして、見ず知らずの方から新しい命を頂いて、
 
今までの免罪符生活に対する罪悪感が一気に押し寄せた。
 
見ず知らずの赤の他人のためにリスクを犯すことができる人々がいる中で、今まで私は何をしていたんだろう。
 
一人じゃ何もできやしないのに、なぜあんなに人をさげずんでいたんだろう。
 
なぜ、なぜ。
 
悔やんでも悔やみきれなかった。
 

私がこの世界で生きるということ

2013年4月。
私は千葉大学に完全復帰した。
知っている同期生がみんな卒業し、周りは知らない学生ばかりの中で新たな生活をスタートした。
 
もちろん病気を知る人もいないし、私がどういう人間で何を考えているのか理解している人はいない。
 
新たな友人を作るには、自らを知ってもらう必要があった。
最低限の過去を知ってもらう必要があった。
今までとは違う、
 
病気を免罪符として使うのではなく別のやり方で。
 
 
「白血病で骨髄移植をした」
この事実は絶対に変わらないし、この事実と向き合って生きて行くしかないのだ。
 
その過去を受け止めて、包摂してくれる人もいるだろう。
 
しかし中には、病人というレッテルを一方的にはって、拒絶する人もいるだろう。
 
それは正直仕方のないことだと思う。
 
 
私は、私が「白血病患者」であるこの世界でこれからも生きていかなければならない。
 
これからさらに社会に出て、自分のことは何も知らない人たちと、付き合って行くことが当たり前になっていく。
 
現実の厳しい面とも付き合いながら生きていかなければならないことも分かっている。

しかし私はあえて、
 
病気であるということを、自信を持って公言することにした。
 
これから信頼関係を気づいて行こうとした時に、この話題は重要な意味を持つし、
 
何より、
 骨髄移植を通してあらゆる面で変わることが、成長することができたと実感しているからだ。
 
この休活ブログもそういった意味で大きな役割を担っている。
白血病、骨髄移植のことを世に知らしめるというよりは、
人が成長する方法は色々あるということを提起したかった。
 
 
 
命の儚さ、
人の弱さ、痛み、そして優しさ、温もり。
 
これらを知ることで私は変わることができた。
21年生きて、ようやく「人」になれた気がした。

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吉澤 耕介

吉澤 耕介

千葉大学3年時に持病の血液疾患が悪化。 みんなが留学や世界一周のために休学してるなか、骨髄移植を受けるため休学を余儀無くされる。そして今、僕はドナーさんの細胞と自分の細胞と共に、第2の人生を歩んでいる。 吉澤 耕介の詳細プロフィールページ
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