休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
[就活が不安]|[休学]、[留学]を決意した大学生の背景
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~休学前の自分を改めてふりかえり~

 

自分の休学への決意に絡んでいる出来事そして、心境の変化を書いていこうと思います。

 

1,語学研修参加

それは大学1年の終わりの頃。教室の変更があるとか ないとかで それをチェックするために、学校の掲示板を見に行った時であった。そこでふと 目に止まったのが 「アメリカの1ヶ月間語学研修in フロリダ」。これは、毎年一回行われているプログラムである。英語潔癖性でもなければむしろ英語は好きで、受験もそれに助けられた。邦画、邦楽より洋画、洋楽を選んで、観たり聴いたりすることも多かった。ただその時は 別に英語を本気で勉強したい とかそんな真面目な理由でなく、フロリダっていう地名に惹かれた。もっと言うとフロリダではなく、ただ研修プログラムに組み込まれている ディズニーワールド&ユニバーサルスタジオ に遊びに行けるっていうそこに興味が湧いた。しかも、終了すれば2単位もらえるとか。そこでその存在を友達に話すと、その友達も行きたいと思ってたらしく、そのまま2人で参加を決定した。

この研修で、英語力が伸びたかというと… というのも、現地の大学で授業を受けるのだが、アメリカ人の先生は、奥さんが日本人で 英語も日本語もペラペラ。授業では 逐一英語の説明のあと日本語訳を挟んでくれた。まぁそれはそれでよかった。英語を学ぶの(´Д` )が目標じゃないし。遊びにきてる訳だし。さらにこれで2単位とか最高。

だが1番この研修で大きなインパクトを残したのが 楽しみにしていた ディズニーワールドの大きさでも ユニバーサルのアトラクションの迫力でもなく、

おそらく、現地の大学生徒達との交流

であっただろう。

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交流初日。最初僕は お互い英語 日本語を楽しく教えあおう みたいな感じなのかな~ なんて思っていた。ちょっとした英会話なら自分でもできるだろうし。しかし実際会ってみると、

「えっ 凄い日本語ペラペラじゃん」「何なのこの人たち?」
ほとんどの生徒が ほぼ完璧に日本語を使いこなしていた。向こうはもの凄い積極的に日本語で話しかけてきた。年に一回のこの機会を彼らは楽しみにしていたようだった。僕は彼らに英語を話すのが恥ずかしくなってしまった。(それから ずっと日本語で会話。笑) 僕たちは 小学校から今まで英語を習ってきている。しかし、2,3年しか勉強していない 彼らの話す日本語は、自分たちの英語より遥かに上をいっていた。もちろん 日本への留学経験は特にないとか… 。 自分にとっても、まぁ日本語が通じるなら、そっちの方が楽だし。そんな気持ちだった。
でもアニメ,漫画,ドラマなどを通して そうやって日本に興味を持ってもらえているのは、素直に嬉しかった。
そして、そこの大学には、留学してここに通っている日本人の人も何人かいた。もちろん英語は完璧。楽しそうに会話していた。僕はこの時初めて、

留学している日本人に出会った。

留学して海外に住む なんて思いもつかなかったし、この時点では 留学してみたいなんて 少しも考えたことなかった。ただ、

英語話せるのかっこいいな。羨ましいな。素直に憧れた。

しかし、帰国すると共に英語に対する そんな気持ちは どこかへ消えてしまった。自分のいつも通りの大学生活に戻っていった。ってのもバイトや遊びで毎日は充実していたし。ただこの 日本語を流暢に話すアメリカの生徒、そして「留学」 を実行している日本人の生徒との交流。そして、英語を話すことに憧れを抱いた こと は 僕の休学に影響していることは間違いないと思う。

2, バイト先の韓国人の先輩

僕は新宿にある 飲食店のキッチンで大学1年~2年終わりまで サークルの先輩に誘われて 働いていた。そこは、ハワイアン料理(ロコモコ,パインチャーハン etc…)のお店で 店内もハワイアンな雰囲気の漂うお店である。

何といってもこの店の特徴は、外国人留学生を大量に受け入れているところ。だいたい従業員の半分は留学生であった。イラン スリランカ 中国 韓国 などなど。色んな国籍の人が働いていた。

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その中で1番仲良くしてくれたのが、同じキッチンで働いている 韓国人留学生の先輩だった。この人は韓国の大学を出て、その後日本に来て日本語を勉強し、今は某有名国立大学に通っている とても凄い人であった。いつも学校どう?とか彼女はどう?とか笑 気さくに話しかけてくれる優しい方である。

時は流れ2年の夏が過ぎた頃、いつも通り仕事をしていると、この先輩がイラン人の人に英語で話しかけているのを聞いた。僕はほとんど理解できなかったが、2人は凄い楽しそうに話していた。

英語を話す先輩はいつもの10倍カッコ良く見えた。(普段から尊敬してますよ。笑)

何を話していたのか尋ねると、
「ダメだよ 今は女の人いるから…笑」
あぁ そういう話ね笑

ただ この瞬間に、フロリダで英語を話せることに憧れていた自分 というものがフラッシュバックした。
僕は反射的に、どうやって勉強したんですか?韓国にいた頃に留学とかしたんですか? という質問が口からでた。
すると、
先輩「フィリピンに留学してたよ。」
自分「フィリピン?」
先輩「うん 韓国じゃ結構人気なんだよー」
自分「フィリピンって英語何ですか?」
先輩「当たり前じゃん! それじゃなきゃ留学しないよ笑」
自分「確かに。笑」
多分ほとんどの人は フィリピン留学とか むしろフィリピンで英語が話されてることを知らないと思う。僕もそのうちの1人だった。色々な体験談( この時は、ライフスタイル中心 )を聞いて

「フィリピンという国」 また 「留学」に興味を持つようになった。

ここで フィリピン留学という新たな選択肢を手に入れる ことになった。ただ 留学のネックはお金の面である。アメリカの研修プログラムでさえ、1ヶ月で30万くらいかかった。しかし先輩から、「アメリカなんかより全然安いし、先生も英語上手だよ!」なんてお墨付きをいただいて、何か僕は

留学というものをとても身近に感じ始めていた。

そこから、さらにネットや先輩からフィリピン留学の情報を集め始めた。

3,大学生活 心境の変化

僕の大学生活は 充実していた。1年の初めから友達にも恵まれて、英語のクラスで仲良くなり グループのようなものができていた。ほぼ毎日、昼食を一緒に食べたり、休みの日は予定を合わせて遊びにも行った。誰かの誕生日であれば、みんなでプレゼントを買いに行ったり、サプライズパーティなんかやったりして本当に楽しかった。テストとなれば みんなで過去問を集め 協力しあって臨んだ。

ほんとリア充とはこのことか!と思ったぐらい。

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だが、ふと就職のことを考えた瞬間があった。それは 多分NEWSとかでしきりに、就職氷河期だとか、そんなマイナスなイメージのことばかり聞いていたからかもしれない。その時 仮に今、企業に向けて

「自分は何をアピールできるのだろうか。」「大学生活自分は今まで何をやったのかな?」

実際サークルも辞め、唯一ゼミを続けているだけ。ましてや、早慶,MARCH などの有名な大学に通ってる訳でもなく、ほんとに普通の大学生である。就活がどんなものか、何も知らない2年の僕だったが 漠然とした不安を覚えた。
大学生活がつまらない訳じゃないし、むしろ楽しかった。このまま3,4年もみんなと一緒に通い、一緒に就活をする選択は十分ありだった。しかし、大学生活 満足してるかと考えるとそうではなかった。バイト 飲み 遊び以外にもっと何かやれることはあるんじゃないか。

型にはまったようなそんな生活から抜けたかった。

これが本心かもしれない。
ここから自分を変えることは出来るのか?何をしたらいいんだろう?

こんなことを考え始めていた頃と同時期に、バイト先の先輩からフィリピン留学の話をちょうど耳にしていた。

「これチャレンジしてみるしかないんじゃない?」

なんて気持ちが自分の中で固まり始めていた。
ただ 休学して留学なんて1人で簡単に決めることはできない。1番は両親の助けが必要だった。正直どう話を切り出せばいいのか分からなかった。ただ今の自分の思いや考え、不安 この休学から留学の決意が本気であることを伝えた。さらにお金の面での支援が必要なことを告げた。すると、2つ返事で承諾してくれた。言葉では伝えられないほど感謝した。
うちの大学は半年休学という制度はなく、4月からの1年間休学しかできなかった。正直 友達と過ごす大学生活が1年無くなると考えると 心残りはあった。さらに復学後はみんなと1年遅れになり、みんなは4年生 自分は3年生となり、大学で1人になるだろうな~ってことも考えた。

しかし、

「自分を変えたい」「自信をつけたい」「英語を話せるようになりたい」その気持ちを押し殺したくなかったし、その気持ちに反抗してまで、今やりたいことはなかった。

この勢いのまま突き進みたかった。腹をくくった。
そして、一年間の休学そして留学を決意した。

次回→[フィリピン生活始動]|積極性のない自分を変える一歩
 

 

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吉川 智也

吉川 智也

日本大学 商学部 3年。 2年の終わりに、この大学生活を一新したくなり、1年間休学してフィリピン、カナダ留学へ行ってきました。 吉川 智也の詳細プロフィールページ
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