大学の16号館に入ってすぐのところに留学センターがある。短期のものから1年間の長期交換留学、栄養学部や服飾学部向けの専門的な研修まで。 私は真っ先に“長期留学 希望者募集中!”と派手に書かれたボートに向かい何枚かの案内を見比べる。
“応募条件”
- IELTS 各セクション4.0以上
- TOEFL 各セクション ○○点以上
- ケンブリッジ ○○○以上
応募締切まであと10カ月。
まだ、時間はある。しかし私はため息をついて案内書を元の場所に戻した。
私は何一つ、スコアを持っていなかった……
―――
今回、なぜ私が“学内留学”じゃなくて手間もお金も準備も面倒な“私費留学”を選んだのか、についてお話したいと思います。
大学の1年が終わるまで私はずっと学内の長期留学に参加する気満々でいた。学内で行われるTOEFLさえパスできれば後は日本語と英語の面接だけという、なんとも簡単な選考会だったし、何より大学が用意してくれるものだから自分で余計な手間をかけなくて済む。
じゃあ、なんでわざわざ選考会もパスして、同意書まで書いたのにそれを断って時間もお金もかかる面倒な私費留学に変えたのか。
結論:
1、 “自分”で何かを作り上げてみたかったから
2、 父の一言
1、自分だけのオリジナル留学

学内留学とは本当に便利なものでお金さえ払えばあとは予定表が配られ、それに従うだけ。考える必要も、悩む必要もなーーーーーんにもない。
自己紹介を見ていただけると分かるように私は典型的なB型。基本面倒なこと、興味のないことは全く手をつけない。だから、学内の長期留学は私にとってはとっても魅力的だった。
当初、交換留学を考えていた私だったが結局、最後の最後までIELTSもTOEFLもケンブリッジも何一つ基準点をクリアできなかった。(むしろTOEFLは二回目の方がスコアが悪かったという結末 汗)
それでも何とか、半年間のカナダ留学の校内選考に受かり、意気揚々としていた。
しかし、
本当にこれでいいの?
ある日、ふとそんな疑問が湧き上がってきた。 高いお金を払っていくのに、予定表に書かれた行動しかできない。
しかも、引率の先生もいるとか小学生かよww、みたいなそんな気分。
実際、高校の時に校内の留学プログラムに参加したからわかる。
“決められた”内容に“自由”は存在しないと。
これじゃあ、また従うだけ。 私の意思はどこにいった? 一体いつになったら自分の“意思”で決めて自分の“意思”で動けるようになんるんだ? その時気づいた。
私はまたもや他人に決めてもらおうとしていたんだって。
行きたいと決めたのも自分。金を払うのも自分。
なのに、また、楽をしようとしている。
でも、今からどうすることもできない。書類にはサインしちゃったし……
そう気持ちが揺らいできたとき、決め手となる事件が起きた。
2、背中を押してくれたのは、父親の一言

なんとか校内選考の一次をパスした大学1年の春休み、私はかなーーーり浮かれていた。
最終選考の内容は9割がた面接だった。元々スピーキングは好きだったし、かなり自惚れていたが、周りに比べたら余裕でしょ?( ̄+ー ̄)みたいな気分だった(まさにこんな顔文字。笑)
そんなある日のこと、世界各国と日本を比べよう、みたいな番組一緒に見ていた父が留学のことを聞いてきた。
留学は結局どうするんだ?
カナダいくよ。明後日の面接受かれば決定。
期間は?
半年
一年くらいいかないの?
だって半年だけの期間だもん。無理でしょー
ならそんなのやめちゃえ。金の無駄だ
は?
思わず父の顔をみた。でた、自分勝手発言。
たかが半年でその国の何がわかる?せっかくお金出してるのに。そもそも学校の予定表に従うだけで、自分で動かないで一体何しにいくんだ?
だってしょうがないでしょ。期間は半年しかないんだから!
今思えば、ただの逃げだった。
自分で行動する勇気がなくて、交換留学のスコアを取れなかったのは、バイトや課題のせいにしてた。 自分では違うって思ってても、結局楽な方に流されていた。だって、そうでしょ?余計なこと考える必要もない。全ては用意されてるんだから、なんでわざわざ苦労して面倒な方を選ばなきゃいけないの?
お前はこの国を見て何がわかる?
不意に父親がテレビの画面をさした。ちょうどその時、偶然にも私が留学する予定だったカナダが映りだされていた。
自然が多い、大きい、教育がいい。
ムカついていたけどとりあえず答えた。 確かにカナダ、といわれて私の脳裏に浮かんだのは、大自然が広がっていて空気が澄んでいるというイメージしかなかった。他に答えようがなかった。
お前は表向きのことしかわかってない。 その国のことを学ぶのはいいことだけど、学ぶなら表側じゃなくて裏側も学ばなきゃいけない。
いい面だけじゃなくて悪い面も。本にもネットにも書かれてないことを知るのが留学だ。本に書かれてることをわざわざお金払ってまで学びに行く必要はない。世界を語りたいなら、まずはその地に足を踏み入れなさい。その国に行って、人と会って話して食べて聞いて感じなさい。
言葉が出なかった。言い返すことができなかった。全て父親の言うとおりだったから。
私は表面上に書かれたことしか学んでこなかったし、それだけで十分だと思っていた。
私は部屋に戻り渡された予定表をみた。確かに○○ツアー!や○○堪能!なんて楽しそうな事ばかりかかれてあるが、 スラム街探索みたいなことは何一つ書かれていなかった。
父親の言葉が再び脳裏に浮かび上がる。
私がしているのは、用意されたレールの上をあるいているだけ。
そこには“苦労”という言葉はない。それと同時に自分の“意思”もなかった。 ただ、楽な方を選んでいるだけじゃん。
私のしたいことは?
やりたいことは?
学びたいことは?
自分の意思は?
私の気持ちは?
私は何一つ自分の意思表示をしていなかった。
数日後、私は選考会合格通知と共に、教授たちと親身に相談にのってくれた留学センターの方々に頭を下げて、学内の長期留学を断った。
自分のしたいようにやってみたい、なんて適当にも程がある、と苦い顔しかされなかったが、不思議なことに清々しい気分だった。
なんとかなるでしょー どこまでもポジティブである私だった。
しかし、これからが怒涛の半年を過ごすことを私は全く想像もしていなかった……
―――
次回はいよいよ留学準備に向けて一歩を踏み出します!
踏み出すといえば…?
次の記事⇒経過報告:オーストラリア留学1年で私はこう変わった。
張 程宜
最新記事 by 張 程宜 (全て見る)
- ギャップイヤーというもう一つの人生 - 2014年7月22日
- ガイドブックには載っていない裏情報教えます。の巻 -オーストラリア編 - - 2014年3月20日
- 台湾人の私が思う差別=”知ろうとしない「無意識の悪意」が差別を生む” - 2014年2月13日

経過報告:オーストラリア留学1年で私はこう変わった。
英語力がないんじゃない。コミュニケーション力がないだけ。-Fijiが教えてくれたこと-
ギャップイヤーというもう一つの人生
-スローライフ大国・オーストラリアで暮らすということ-






