休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
【みんなのお金が小学校の教室に変わるまで】自分がケニアに渡った4つの理由編
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はじめまして。
吉岡 航希(よしおか こうき)と申します。

小山藍さんからの紹介を受けて、休活BLOGに参画することになりました。
現在は、大学3年の一年を休学してNGOの在ケニア駐在インターンとして小学校の教室建設・補修を行っています。
ケニアから情報発信をしていきますので、よろしくお願いします。
 

【このブログを読んだあと】

・休学を一つの選択肢に!!
・国際協力って偽善??っていう方は暇なら読んでみて下さい
・住民参加型開発って具体的どゆこと〜??がわかるかも
・小学校に教室を作る100個のステップを教えます!!
 
 

【こんな人へ】

・国際協力に興味がある!!
・海外でなんかやってみたい!!
・NGOで現地駐在員として活動してみたい!!
・やりたいことはあるけれど、一歩踏み出ずにいたりする
 
 

【自己紹介】

中学を卒業するまでサッカーのことしか考えてなかったポンコツ学生です。
結果、地元の低偏差値私立高校に行かざるを得ない状況に、部活一筋の高校生活を終え、思いつきでハイチ沖地震募金プロジェクトをやってみる。
このときに経験した疑問や悔しさから国際協力に興味を持ち、大学受験をしようと思いつつも勉強そっちのけでいろんな本とか読んでみる。
結局、「国際協力って何や!!」っていう疑問は消えず。“伝える”ことが今の自分にできること、と考えて新聞学科に入学。
まぁ〜そこからいろいろとやってみました。で、なんかそれらの経験から「やっぱり現地行かないとだめだな〜」っと思い、現在は某NGOの在ケニア駐在インターンとして小学校教室の建設や補修の運営をやってます。

 
 

【自分がケニアでインターンしようと思った理由と4つの経緯】

現在、私は某NGOの在ケニア駐在インターンとして小学校の教室建設や補修に携わっています。
正直言って、就活に有利になるとは思えません。
滞在費、保険代以外は自腹です(計15万くらいかな)。

楽しいボランティアとは程遠い、地味で憂鬱な作業も多いです。
そんなインターン生活を予め知っていたにも関わらず、なぜ、自分がここにいるのか。
それは、高校生のときに妥協と言い訳から生まれた夢がきっかけでした。
 
 

㈰【きっかけは“悔しさ”。国際協力に興味をもったわけ】

少し、自分の経歴を紹介します。
小学生のときに父親の仕事の都合で一年半スウェーデンにいました。
帰国後にサッカーを始めて中学の時にはスペインに遠征したりしています。
高校では語学研修でアメリカにも行きました。

「えっなんか超エリートっぽい」と思った方、ごめんなさい。
小学校のときはそれなりに「自分英語話せます」的な感じでしたが、サッカー一筋で内申点はボロボロ、地元の低偏差値高校へ(サッカーチームではベンチ!!)。

高校1年前期の中間テストで英語40点代をたたき出しました。
まぁ〜どこにでもいる普通のクソ学生ですね。
で、高校でも勉強はあまりせず部活のことばかり考えてました。
そんな二年半を過ごした。高校生活終盤、大会で負けた自分たちは当然のように部活を引退し、みんな受験勉強とか始めます。
「ちょっと待って、そんなに簡単に切り替えられんわ!!」って感じでした。

たまたま、ほんと偶然、その年の二月にハイチ沖で大規模な地震が発生。
6月くらいに友達が募金を思いつきました。で、この企画に自分も参加するわけです。

なにしろ勉強嫌いでしたから。
当時の自分はあの地震がどれだけの規模だったのか、そもそもハイチっていう国の存在を始めて知るようなレベル。
これもたまたま、ボランティアに熱心な先生のご厚意からNGOの職員さんを紹介してもらい寄付金は無事にハイチ支援の団体に届けることができました。
それなりに達成感もあったのですが、それ以上に悔しさでいっぱいだったのを覚えています。

募金の総額は3万円程度、寄付してくれた人には感謝をしつつも、あの大震災では雀の涙ほどのお金でした。
根拠もないのに、自分はどこか特別で、もっとスゴイことができると信じてたのです。
“国際協力”この分野で活躍するにはどうすればいいのだろう??
気がついたら受験勉強そっちのけでネットや本でひたすらこのことを探していました。

“悔しさ”それが国際協力に興味を持ったきっかけでした。

 
 

㈪【妥協と言い訳を重ねてたどり着いた答え】

無知で馬鹿なポンコツ学生にとってネットや本で国際協力について調べることはそれなりに刺激的でした。
そこに出てくる人たちはとっても輝いて見えたからです。
ただ、それと同時に疑問はますます膨らむばかりでした。“押し付けの支援”“トリクルダウンの理論”“先進国の政治的な都合で見捨てられる人々”国際協力に批判的な声は調べれば調べるほど説得性を増すように思えます。
「実際に活動している彼らのことを否定したくない」むきになって答えを探し続けました。

答えが見つかりそうになると遠ざかる。そんな日々を繰り返すうちにあることを思いつきました。
「そうだ!!この分野で活躍する人をもっともっと増やせば、きっと誰も思いつかなかった新しい国際協力の形を思いつくに違いない!!」
当時の私にとっては大発見でした。「国際協力について1人でも多くの人に興味をもってもらうジャーナリスト」夢いっぱいの答えが見つかりました。
我ながらナイスアイディアです。

至極単純な私は“伝える”ことでこの分野で活躍しようと思ったのです。
そこからというもの、ジャーナリズム系の学科がある大学に入るため、自分なりに必死で勉強しました。
残された時間はもう、半年もない。
そんな状況でした。結果、上智大学の新聞学科に合格。
なかなか成功への道を進んでいる感じですね。
でも、無意識のうちにわかってました。
この合格は勝手に言い訳して自分の限界を決めつけたゆえの結果であると。

例えば「国境なき医師団」医師たち自身も決して安全ではない所で人を助けていく彼らはヒーローのように思えましたが、「医学部は無理だろ〜」と勝手にいい訳してすぐに諦めてました。
実はジャーナリストという夢を見つけるまえにも何度か夢を見つけていたのです。
努力次第でなんとかなるその夢を諦めたのは自分に努力をする覚悟がないだけだったのでした。

 
 

㈫【からっぽで無責任な言葉、当たり前のことに気づいた二年生】

そんな思いをどこかに抱えながら、始まった大学生活。
一年生のときは国際機関の説明ボランティアをやってみたり、新聞社と一緒に学生組織をつくり“伝える”ことについて勉強したりしてました。

二年生、もっと主体的に活動したくなった私はいわゆる国際協力系サークルに入ります。
本での支援を軸としてネパールに図書館を建てたり授業をしたりするそのサークルの広報担当として、SNSなどの広報活動に尽力しました。
「学生ができることを通じて社会に影響を与える」
「1人の100歩より100人の1歩」
サークルの活動理念にあるようにネパールの現状、自分たちの活動を一年間伝え続けました。

そして翌年の2月。
活動の集大成でもある現地での活動で自分は大馬鹿者だったことに気づきます。
「いままで俺が伝えてきたことはなんだったのだろう」そこで見て、聞いて、感じたものはたとえネパールのごく一部であったとしても、いままで自分が伝えてきたことはとてもじゃないけど、そのとき感じたものを表せていたとは思えませんでした。
先輩の話やネット、本の情報でネパールを知った気になった私の言葉は自分の財布や貯金箱のようにからっぽで無責任だった気がしたのです。

 
 

㈬【これ以上妥協してもいいのか??】

自分の言葉に責任を持つ。
こんな小学生でも知っているようなことにやっと気づいたのです。
ましてや自分の夢はジャーナリスト、自分の言葉に責任を持つことはメモやペンを持っていることぐらい当然のことでしょう。
しかも、この夢は妥協といい訳の先に見つけたものにも関わらず、です。

「現場に行くしかない」休学してインターンとしてケニアに渡ることを決めるまで時間はかかりませんでした。
タイミングよく、学生の署名運動により休学費が30万から7万に下がり、お金といういい訳もできなくなりましたしね。
いい訳上手で、妥協することが大好きな自分ですが、せめて、自分が話す言葉ぐらいには責任が持てるようにしよう。これが、いま自分がケニアいる理由です。

 
 
稚拙な文章ですいませんでした!!
次回記事はこちらとなります。
みんなのお金がケニアの教室に変わるまで~基礎部分編~

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吉岡 航希

吉岡 航希

上智大学 文学部新聞学科2年。 某NGOの在ケニア駐在インターンとして小学校教室の建設や補修の運営をやってます。 吉岡 航希の詳細 プロフィールページ
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