休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
休学して『ケニアインターン・ロンドン留学』した後に思ったこと:小西翔子(寄稿)
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◆早稲田大学政治経済学部4年 小西翔子

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休学の理由は、「社会に出る前に、途上国開発について一度本腰入れて勉強したかった」この一言に尽きます。
そんなわけでケニアに4ヶ月インターン、その後ロンドンに3ヶ月留学していました。
 
途上国開発は大学に入学したときからずっと抱いてきた興味です。
高校2年間の留学から帰国後、たまたま読んでいた新書の1、2行の説明で(あるアフリカの国が援助によって実質的にはより貧しくなっているという内容)心を動かされたのがきっかけでした。
「外交レベルで良かれと行われていることが実際には(草の根で)悪影響をもたらしている」。(思い起こせばピュアだった)高校生の私には十分衝撃的で、なんとかしなきゃ!と一番強く思えたのが途上国の問題でした。
 
だって遠い世界で起きていることなんて、目を向けて思いっきり見つめてみなくちゃ見えてこないじゃないですか。
それこそ時間のある学生のうちに勉強したいと思ったし、せっかくの英語力を活用できるわけで、じゃあ今からやってみようって思ったわけです。
 
 
そうして始まった大学生活。
1年生の夏休みに早速ケニアとタンザニアに大学で知ったスタディーツアーで行ってみました。

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当時まだ「開発」の取り扱う範囲の広さもまともに理解していなかった私は、文字通り打ちのめされてきました。
そもそもアフリカどころか途上国に行くのも初めてで、住み慣れた西側の国とは全く違う世界。
帰国後いくら感想を聞かれても、「よくわからない」と答えていたように覚えています。
2年生の夏休みにはミクロネシアという南太平洋に浮かぶ島国にお邪魔しました。
上下水道電気ガス何も整っていないこの島で、環境教育の名の下現地の暮らしを疑似体験してみて「現地人の目線に立つ」ことって難しいなあなんて思って帰ってきました。
この姿勢、今思えば開発だけでなく社会で何等かの役割を担うときのド基礎ですよね。
 
それとは別にいくつかの国内の農山村もずっと訪問してきました。
もともと食糧自給率問題に対して強く興味を持っていて、都会育ちということもあって「背景をちゃんと見てみたい!」とこれまたノリで行ったのが始まりです。
美味しいごはんも食べたかったし、最初は「これが日本の原風景ってやつか!」なんて感激していたくらい、適当。
とはいえ、さすがにアフリカよりも知識があったし、母国語だし、同じ場所ばかりではなかったけれど継続して遊びに行っていたこともあって現地の人とは割と仲良くなっていたと思うのですが、あるとき「東京の人にはわからない」と突き放されてしまったことがありました。
 
確かに私は東京育ちで高校が海外、大学は都内の有名大と、(特に田舎に暮らす人には)少し派手に映る経歴なのかもしれません。
そんな私が隣にいても心理的な距離感を与えてしまうのは仕方ないのかもしれない。だけど、その一言で片づけられてしまった自分がなんだか悔しくて、だったらもう少し腰据えてやってみようじゃん、そんな負け惜しみみたいな感情から、決まっていたアメリカへの交換留学を断って、現場に行こうと決心しました。
(じゃあなんで国内じゃなくて海外って、英語使いたかったから)
 
就活のESみたいになってしまいました(笑)。
 
だけど、いざ行先を決めるにも「専攻:国際政治経済学」が手伝ってかなかなか受け入れ先が決まりません(現場は理系の仕事ばかり)。
3年生の春には色んな組織にアタックし始めましたが、ことごとく断られてきました。
結局受け入れ先が決まったのは10月半ば。
11月には来てもいいよとのお達しをいただいて、大慌てで休学手続きやら現地での生活やらのアレンジをしました。
 
 

▼ナイロビでのインターン

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そうしてドタバタとやってきたナイロビ。
空港からの道、車の中から穴ぼこだらけの道や壊れたまま使われている家々を眺めながら涙が止まらなくなりました。
初めての一人暮らしへの不安ももちろんですが、
いやまじで自分アフリカ来ちゃったよ――――――!やべ――――――!どうしよ――――――――!意味わかんない!!……こんな感じです。
とりあえずいろんな感情が入り交ざっていました。
 
受け入れ先は、ナイロビ郊外にある現地政府の環境系の研究所です。
そこでの肩書は「リサーチインターン」。
人々にアンケートを記入してもらって、それでレポートを書くのが目的です。
 
日本からの支援のある現場だったのでたまに日本人の職員さんもいらっしゃるのですが、基本的には初日からケニア人だけの環境にほっぽりこまれ、訛り過ぎの英語と知らない現地人たちからの凝視(のちに気付いたものの、単に肌の白い人間が珍しかっただけの模様)に耐える日々が始まりました。
挙句着いてすぐ体調を崩し、2週間ほど寝てばかりで何も食べられない日々が続きました。
一気にダイエットが進んだのは言うまでもありません(既にリバウンド済み)。
 
そんなロンリーな日々を支えてくれたのは、たまたま期間がかぶっていた他のアフリカ諸国からの研修生たちでした。
というか文字通り引っ張りだこ状態で質問攻めに遭います(だって珍しいから)。
ついでだからと着いて行った研修先では次々に腕を引っ張られ、みんなの記念写真に一緒に収まる(だいたいツーショット)。
みんな私より年上でもういい年なのに、ものすごく自由です。
 
そんな自由な人々に励まされ、少しずつ現地の人々と仲良くなり始めました。
研修生たちはそれなりのお給料をもらって生活している、いわば中流層の中でも上層に入る人々ばかりです。
英語は訛っていますがきちんと使えます。
それに対してローカルなケニア人たちは、基本的なコミュニケーション取るのでやっと。
収入なんておそらく私の新卒採用時の20分の1にも満たないでしょう。
 
そんなとき「現地の目線に立つ」、大学2年の時に強く教えられたこのことについて、強く意識するようになりました。
じゃあとりあえず食生活から変えてみるかと、お昼ご飯を食堂で採るようにしたり、輸入物のお菓子をスーパーで買わないようにしてみました。
そこから一緒にテレビを見たり、(ひとりで外出は禁ぜられていたので)近くの集落まで連れて行ってもらったりと、一緒に過ごす時間を増やすことで、少しずつ「現地の目線」に近づけていけたかなと思っています。
実際に、時間が経てばたつほど私のことを娘か妹のように扱う現地人が増えたように感じたし、新しく出会った人には「他の外人とは違って、オープンだね」なんて言われることも少なくありませんでした。
 
そんな感じで時間を過ごしながら、アンケートの回収を終え、インターンを完了しました。
 
 

▼イギリス留学

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4ヶ月のケニア滞在を終えまず強く思ったのは、「院に行きたい」ということでした。
大学3年にもなって言うことではないのかもしれませんが、自分の勉強にいまいち自信が持てなかったことと、もっと開発を専門的に学んでみたいと思ったからでした。
とりあえず開発学で有名なイギリスで修士を取ることを前提に、柔軟に動けるうちにその情報収集もかねて入学要件の英語を勉強してしまおう!と、ロンドンにある開発学で有名な大学のファンデーションコースに1学期間だけ参加しました。
 
そこでやったのは、とにかくいろんな人と知り合って、話を聞くこと。
ロンドンにはいっぱい日本人がいます。
ケニアでの経験を踏まえどういう将来像が描けるのか参考にしたくて、誘われた勉強会やパブ会、そしてパーティなどは基本的に全部顔をだし、院生の方には学校や学問そして将来設計、社会人の方には仕事内容や海外で働くことの苦労話などを伺ってきました。
 
もうすぐ留学を終えて帰国しますが、素直に、悔いのない3か月間だったと思います。
ロンドンに来た当初は大学院進学しか頭にありませんでしたが、今は新卒で就職したいと考えています。
いったん開発学にピリオドを打って他の世界を見るのもいい、そんな時期みたいです。
 
最後に、この場を借りて常に応援してくれていた両親への感謝を述べてこの記事を締めたいと思います。
 
この1年間でお世話になった人は本当に数えきれないほどで、自分の人生で一番多く人に面倒を見てもらった年だったなあなんて思うのですが、それでも両親の存在は誰よりも大きかったと感じています。
 
 
一人娘を、アフリカに行かせてくれてありがとう。
ワガママし放題を許して、応援してくれてありがとう。
そして、ずっと信頼してくれていて、本当にありがとう。
いくつになっても落ち着かない娘ですが、これからもよろしくお願いします。
 
 

▼休学について思うこと

まじめにアドバイスしてみます。
まじめでこの程度か、とは言わないでくださいね笑。
 
休学をしようかとなったとき、私の判断基準は、復学したときに振り返って「時間を無駄にした」とさえ思わなければいい、ということでした。
 
私の場合大学受験時にも1年遅れているので、休学することで2年遅れになってしまいます。
戻ってきたとき2歳下と一緒に授業受けたり就活したりするのか…と、当然迷いました。
(だって二十歳やそこらのぴちぴちの子と並んだら余計ババアに見えるし…ってのは半分冗談ですが)
 
じゃあなんで、って。
先にも書いたとおり、私には高校留学経験があります。大学入学が遅れたのはそれゆえなのですが、1年遅れたことにまったく後悔はありません。
むしろその経験が今の私の土台となっているので、留学してなかったら途上国開発にも興味を持たなかっただろうし、休学をしようとも思わなかったはずです。
だからたぶん学年が遅れることにもそこまで抵抗がなかったんだと思います。
まぁあれこれ言ってくる人はいつでもいるんですけどね(笑)
 
日本はレール通りに進むことがよいとされているように感じるし、同一性や規律を重んじる社会だと思います。
その中であえて「違うこと」をすることって、ある意味賭けだと思うんです。
だけど、賭けは賭けでも自分でなんとかできる賭けなんですよね。
それに、結果がどうであれ自分が納得できるんならいいんじゃん、って私は思ってしまいます。
幸いそんな賭けをさせてくれる環境があった私は、迷わずにその道を選びました。
 
学生時代はよくモラトリアムと称されますが、モラトリアムの中のモラトリアムである休学なんて学生のうちにしかできないことのはず。
今でしょ?ね!
小西翔子さんのブログ:今更の日記。
 
 
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