休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
Ⅱ. 些細な衝動 / アメリカ留学の決意と事件
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前の記事⇒今だから想うこと|休学・アメリカ留学が教えてくれたもの

《キッカケ》

ここでは、僕が何故休学そして留学する事にしたのか
そのキッカケについて書いていこうと思います。

 

僕は今の自分があるのは1年間休学をして留学をしたからだと本気で思っている。
一生懸命取り組んで、
やり遂げた後には自分に出来る事が増えていたり、
見える世界も変わっていたりする。

変化の1つの結果として、自分が望む形で就活を終える事も出来た。
でも、その企業に行く事が正しいかなんて、正直分からないし
分かるのはずっとずっと先の事になるんだと思う。

前の記事で書いた様に、大事なのは1年間休学をして留学したからこそ、挑戦出来ると言う事。
つまりは休学によって自分の可能性を広げる事が出来たと言う事です。

僕の留学の目的は、その企業で働く為という事では決してなかったし
前の記事の終わり(経歴)が就活の結果になってしまっているから、就活の為の留学の様に映ってしまうかも知れないけど
それはただの1つの結果です。
それ以上でも以下でもありません。

ただ、あの一年がなければ、
まず届かなかったろうし
もしかしたら選択肢にすら入ってなかったかも知れない。

なんでそこまで言い切れるかと言ったら
当時の自分を思い出せば明らかだ。

 

よく誰にも負けないものを持ちなさいって言われるけど
僕は明確な物が浮かんでこなかった。

小学校から野球を初めて高校までずっと続けてきた。
一応レギュラーにはなれたけど
人に自慢出来る成績は残せてない。

高校は公立校で進学校ではあったからそれなりに勉強はしてきたけど
野球に集中しすぎて(ただの言い訳だけど)現役は受験に失敗。
一浪して仙台から東京の明治大学に行く事になった。
本当は早稲田大学目指してたけど、そこは言わずもがな。。。

 

それでもある程度満足はしていたし、コンプレックスも無かった。
普通に友達も出来て、サークルにも入って楽しくやってた。
いわば普通に大学生活をエンジョイしてた。

サークルはインカレのオールラウンドサークルで
基本的には週一でミーティングと飲み。
特に明確な目的は無かったけど、50人位のメンバーが協力しあって大きなをイベント開いたり、
みんな全力で学生時代をを楽しんでた。

2年生になってサークルを運営する立場になってからは役職にもついて奮闘してた。
人数も多かったし、どっちかって言うと裏方の仕事が主だったけど
嫌いじゃなかったし、みんなが喜んでくれるのにやりがいも感じてた。
何より人の前に立つ事の難しさを経験出来た事が凄い勉強になった。

今思えば、それが大学に入ってから何かに夢中になった最初の事で
なんか野球してた時みたいに凄い盛り上がってた。
気の合う仲間も出来たし、いろんな人と関係を作れたのが楽しかった。
まぁ、金使うからバイトもしたし、
朝まで飲んでたせいで、その1日がつぶれるなんて事もあった。。。
まぁ、これも普通の大学生(笑)

そんな毎日を送っても、
周りが同じ様な奴ばっかりだったって言うのもあって
何の疑問も持ってなかった。

こんな感じでバカでした(笑)

 

大学での2回目の冬も近づいてきて
サークルも代替わり、要は後輩への引き継ぎの時期が近づいてきた時
同い年で一つ上の学年の人達が就活の準備を始めた。

個人的には関係ないのだが
同い年の奴が先に行ってしまう気がして
なんか焦ってしまう。

会話に混ざると
もっと色々やっておけば良かったなんて
後悔の声が聞こえてくる。
悪戦苦闘する姿を見る度に1年後は我が身と気が気じゃなかった。

この時からある感情が芽生える。
「このまま就活して本当にいいのか?」

2年間の大学生活を振り返って
やってきた事はサークルとバイトだけ。
一年浪人して年下が多い中で、胸を張る事が出来ることはあるのか。。。

よく就活の為にネタを作りなさいって言われるけど
当時の僕にはその本当の意味が理解出来ていなかった。
周りからも色々やっておけと言われるが、今ひとつしっくり来ないし、その重要性も理解出来ない。
僕にとってはそんな事よりも、後悔しながら毎日を送っている多くの人達の姿を見るの事の方が嫌だった。
もっと言えば、自分もこのまま何も誇れるものなく大人になっていく事が怖かった。
何の為に大学に行ったんだろうなんて柄にもなく考えてしまっていた。

色々な考えを巡らせる中で
何かやらなきゃ駄目なんじゃないのかと
頭で分かっていても何をすれば良いか分からない。

 

そんな時ふと見てたテレビで京都大の偉そうな教授が熱弁してるのが目に留まった。

彼が言うには
要はグローバル人材が日本には少なすぎる
日本の学生は海外への関心が低くすぎる
っていう話しだった。

まぁ良く聞く話しではあるし
僕自身そんなに海外に強い関心があった訳でもなかった。

すると、となりにいた親がふと呟いた。
「あんたは留学とか行かないの?」って。

俺は当然「え?」って思ったけど、
それ以上はすぐに答えられなかったし
親もそれ以上は何も言わなかった。
なぜなら自分の中にそんな選択肢は無かったし
そもそも考えた事すら無かったからだ。

それに周りにも留学行ってる奴なんてほとんどいなかった。
行った事がある奴とか帰国子女の人達も、ある意味違う世界の人間だと思ってた。

 

でも、そんな選択肢がある事に気付いた時、
思ってしまった。「行けたら良いなぁ」って。
”もしかしたら自分も凄いと思える人達に近付けるんじゃないか”
”今の自分を変える事が出きるんじゃないか”
そんな期待を持ってしまった。

本当に最初はその程度だった。

ただ、それからは毎日その事ばかり考えてた。
何かに一生懸命になりたいっていう当時の気持ちと相まって
自分を成長させる事が出来るという期待感
英語がしゃべれる様になった自分
いろんな意味でワクワクしてた。

それとは逆に、
純粋に異国での生活への不安
もう一年遅れてしまう現実
友達が先に行ってしまう事への恐怖感
そんなものも頭の中を駆け巡ってた。

色々な感情がある中でも行きたいと言う気持ちはどんどん増えていった。
何故かと言うと、やっぱり自分を変えたい気持ちがその時は強かったんだと思う。
あいつは凄いから、俺には無理だなんて思う自分を変えたかった。
もう自分に言い訳はしたくない。

周りと何ら変わりない、一大学生。
自慢出来る事なんて殆どない。
自分で決断してきた事なんてないし、行動力もない。
それでも大学生活の中で一つくらいは全力で取り組んで
自分を成長させたっていう胸を張れる事がしたかった。
自信を身につけたかった。
そんな気持ちがどんどん強まっていく。

 

そして、その手段が留学である必要があるのかとも考えた。

自然と留学経験者から話しを聞いてみたり
留学代理店へ足を運ぶ機会が増えて行った。
友人とも話し合った。

勿論突然の事だし反対されたり
考えが甘いって事も言われた。

落ち込んだ事もあったけど
その度に何回も考えて自分の中の想いを整理する事で
考えは固まっていった。
だって自分の人生なんだし、人生は一回きり。
このままじゃ何も変わらない。
何より後悔はしたくない。

 

結果として僕は留学と言う選択肢を選んだ。
なぜなら、今の自分を変えるには
今いる心地よい環境を変える必要があって、
そして一人でどこまで出来るのかも試し、
挑戦する事が大事だと思ったから。

ただ、今思えば勢いって言うのもあったと思う。
衝動って言うのかな。
その時の強い想いを追い風にして動いてた。
不安な気持ちを一生懸命押閉じ込めてた。

結果論かも知れないけど、僕は留学に関して100%の考えを固めて行動する事は必ずしも必要では無いと思ってる。
動いた先に新たな発見があって、そして考える。
この繰り返し。
大事なのはやってやると言う覚悟。

 

自分中で決心がついた後は親の説得。

留学するとなるとそれなりにお金がかかる。
自分だけじゃ正直限界がある。

父親は普通のサラリーマンで母親は専業主婦。
特にお金持ちって分けじゃない。
それでも、その時思っていた事を全部吐き出して
精一杯自分の覚悟を伝えたら、「なんとかする」って言ってくれた。
その時は、目頭が熱くなったのを今でも覚えてるし、
本気さを理解してくれた親には、本当に感謝してる。

 

これで、より覚悟が固まった僕は本格的な準備を始めた。

留学代理店の人と話しを進めて留学先と期間を決定した。
その中で自分がやりたい事、
自分がどのようになりたいかってのを明確化すると
自ずと場所は決まった。

僕の場合は英語の習得と
現地で大学の授業に参加する事。
加えていろんな国の人が集まってコミュニケーションを取る事ができる環境ってのを条件としてた。

それを一番満たしていたのが
ニューヨークの大学内にある語学学校。
最初の3ヶ月はホームステイをする事にした。
(ちなみに考え始めてからここまで3ヶ月間。決して長くはないけど気持ちの面も含めて準備は整った。)

それらが全部決まって、大学へも休学届けを出し
後は行くだけって時に事件は起きた。

 

2011年3月11日

東北での大地震。

最初の方にも書いたけど
僕の地元は宮城県で被害は最悪だった。

ここでは多くを語るつもりは無いけど
相当ショックだった。

当時運良く家族は関東に住んでたから
みんな無事ではあったけど
自分が育った場所の変わり果てた姿を見ると
言葉が出てこなかった。

そんな状況で留学する事に
後ろめたさが無かったかって言ったら嘘になる。
逃げるみたいで嫌だった。

それでも僕が日本に残る事で出来る事と自分の決意、やるべき事を考えて決断した結果、
それから一ヶ月後の2011年4月
僕はアメリカニューヨークに出発した。

 

 

次回はアメリカで感じたイメージギャップについてです。

 

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太田 英彬

太田 英彬

明治大学4年生の太田英彬です。 大学3年に休学し、1年間ニューヨーク行ってきました。留学をしてニューヨークだけでなく日本の事も更に大好きになりました! そんな僕の今だから想う事を素直に伝えていきたいと思っています。太田 英彬の詳細プロフィールページ
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