休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
【第一回海外逃亡計画】ーL.A.で得た3つのものー
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休学に至るまでの道のり—その2—

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前回の記事の続きです。前回の記事を読まれていない方はこちらへどうぞー
今回は、第一回海外逃亡計画、ロサンゼルス通称LAで得たものとその後の大学生活について書いていきます。(まだまだ休学には至りません。もうしばしお待ちを。)

 

 

第一回海外逃亡計画【ロサンゼルス】で得たもの

『第一回海外逃亡計画』の行先として選んだロサンゼルス。1ヶ月間語学学校に通っていましたが、1ヶ月という短期間、学生の春休み、そしてロサンゼルスという都市ということを考えると、語学学校は日本人や中国人ばかりだということは分かっていたので、『英語を習得する』ということには期待しておりませんでした。(案の定日本人がかなり多かったです。全体の5、6割ぐらい?)
私がロサンゼルスに行った目的は『英語を習得すること』ではなく、『アメリカでの生活を知ること』『日本から逃げること』『「私LAに行って来たの。」とドヤ顔で言うこと』の3つでした。

 

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まあこんな感じ。
この3つの目的を無事果たす事ができ、日本に帰国後、

「いやーロサンゼルス楽しかったー!満足!」

とかなり心が満たされていました。
しかし、私の心を満たしていたのは3つの目的を無事に果たしたから、だけではありません。LAで過ごした1ヶ月間で私はそれ以外の大きなものを3つ得る事ができたからです。

その3つとは、 

1. 「やっぱり日本が好き」という気持ち
2. 出会い
3.お腹についた3kgほどの脂肪



「やっぱり日本が好き」という気持ち

スクリーンショット 2014-07-15 12.15.22大学に入学してからずっと「日本から逃げたい!日本は住みづらい!」と思っていたのにも関わらず、日本から一歩出て生活をすることで「やっぱ日本っていい国だなぁ。」と感じることが出来ました。
たとえば、『食』。噂には聞いていましたが、アメリカのものは全てデカくて、ジャンキーなものばかり。「1ヶ月なら食べ物なんて何でも平気でしょ。」という方もいらっしゃると思いますが、これがなかなか辛い。私の食生活は、『シリアル→ハンバーガー→アイスクリーム→ドーナツ→ハンバーガー→アイスクリーム』というハンバーガーとアイスクリーム(ときどきドーナツ)が延々と繰り返し続くようなものでした。毎日ジャンクフードばかり食べていた私は、「ああ。日本食、食べたい。」と常々思っていました。たまに現地の日本食レストランで日本食を食べに行っていましたが、日本で食べる日本食と違って味付けがめちゃくちゃ甘かったり、量がやたらと多かったり。
これがきっかけで今まで当たり前のように食べていた日本食がもっと好きになりました。すごく単純ですが、当たり前だったことが当たり前でなくなったときの感覚を知る事が出来たのは自分にとっても大きな気付きでした。

 

大切な出会い

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この時に出会いました。後ほど私が休学するきっかけとなる一言を放つ人に、です。
まさかLAで今後の自分にとって大事な人に出会うとは思ってもいませんでした。なんだかんだかなり人見知りで、『近寄るなオーラ』をぷんぷん放っていた私を唯一面白がっていた日本人。出会ってから今まで、私が悩んでいるとき、辛いとき、大きな決断をするときには常に関わってくれていました。出て来るタイミングいいんよなあ・・・。あまりに褒めると調子に乗りそうなので、この辺にしておきますが、そんな人に出会えただけでも、L.A.に行って良かったと思いました。(あ、彼氏ができたわけではないです。)

 

お腹についた3kgほどの脂肪

これについては詳しく触れないことにします。これらの写真を見て察してください。

 

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食べる。

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ディズニーランドでも食べる。

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また食べる。

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そして、食べる。 
 

帰国後の変化

日本に帰国後、3つの壁のどれかを乗り越えられたか、と聞かれたら正直どれも乗り越えられていませんでした。私は大学生活で再び3つの壁(帰国子女コンプレックス・ハーフコンプレックス・逆カルチャーショック)にぶち当たり、それを乗り越えなければいけない環境に戻ってしまったのです。
しかし、ロサンゼルスに行った事で、わずかながらも私の中で確実に何かが変わっていました。

それは、
海外に出る事で嫌いだと思っていた日本を少しずつ好きになれるということに気付いたこと。
海外に出る事で素敵な出会いがあるかもしれないということに気付いたこと。
海外に出る事で自分の考え方が変わるかもしれないということに気付いたこと。
壁を立ち向かうことももちろん大事だけど、疲れたときはすこし休憩したり、道草をくったり、そこから逃げてもいいんじゃないかなって思えるようになったこと。

今思えば、その『海外逃亡計画』、つまり『逃げ』が私にとって3つの壁を乗り越えるためには必要不可欠だったのです。

そして、計18回の逃亡計画。
ロサンゼルスに行ったことから、少しの気付きと考え方の変化がありました。 

「もっと海外に出たらもっと変わるかもしれない。」 

そう思いました。
それからというもの、私の頭は『海外逃亡計画』でいっぱい。

暇さえあれば本屋さんの旅行書籍コーナーで旅本を読み漁り、
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暇さえあればネットで『世界の絶景』などを検索し、
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(ここが今まで行った場所で1番綺麗でした。)
 

暇さえあれば旅関連のイベントに参加し、
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暇さえあれば旅のプランを立ててひとりうきうきわくわくしていました。

その結果、大学生活中に訪れた国(地域)は以下の計18ヶ所。(訪れた順)
ロサンゼルス、上海、スペイン、上海、タイ、カンボジア、ベトナム、上海、トルコ、ギリシャ、上海、インド、上海、香港、マカオ、上海、フィリピン、タイ、ラオス、ミャンマー、上海、モロッコ、マレーシア、台湾、シンガポール
 
うん、上海はさみすぎね。

この計18ヵ所への海外逃亡計画が、私に『3つの壁』に立ち向かおうと思わせてくれて、さらに「日本と世界を繋ぐ何かがしたいなあ」という漠然とした夢を抱かせてくれました。最近ちょっとぶれてるんだけどね!!

つづくお

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西貝友里

西貝友里

9歳から高校卒業までの9年間を香港・上海で過ごし、大学でひとり日本に帰国。大学生活中に18ヶ国を周り、その中で「日本と中国」「日本と世界」を繋ぎたいと思いました。そして、色々と試行錯誤した結果、4年次の後半から1年間休学。今はマレーシアでインターンシップをしております。西貝 友里の詳細プロフィール
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