休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
休学の本質について考えてみた
このエントリーをはてなブックマークに追加

「これでいいのだ」

バカボンパパのこの一言が、休学の本質を突いてる気がしてならない。

いつもの物語っぽい僕の休学記ではなく、今回の記事はとにかく言いたい事を言わせてもらいます。

大学生という身分に該当する人に関する事に限るが、小中高とみんな大体似たり寄ったりの毎日を送って、高校から大学へは現役入学が良しとされている現在。
大学生活4年間は「モラトリアム」=「執行猶予」と位置づけられ、その後“社会人になる”という「執行」がなされるかのような物言い。
それまでの執行猶予4年間だって、なんだかんだで猶予らしい猶予とも思えない。

卒業する為に単位を取る、単位を取るためにテストやレポートの準備をする。
それだけじゃない、サークル、部活、学生団体、それにバイト
人によっては実習や実験、合宿だってあるだろう
加えて時期が来れば、行事や卒論、就活がいつの間にか迫ってくる。

ボンヤリと、でもそれとなく忙しなさに流される。

ここまで書いて、僕は疑問に思う事がいくつかある。

大学生活が“モラトリアム”と位置づけられること自体、気にくわないが今はそこに触れない。
ただその執行猶予(=大学4年間)が「猶予を与えられた自由な時間」だとすれば、それは果たして本当だろうか?
上に書いたように、何気に忙しくないだろうか?
そもそも大学やサークル、バイトに就活などといった他人の決めた“時間割”に則して自分の頭も足も動かされてるのではないか。
しかしそんな事にさえ、気づかせてくれないような風潮やシステムが現状として在る。

ジャンポール・サルトルは「人間は自由の刑に処されている」と言った。
僕を含めた多くの大学生は、この言葉に当てはまると思う。
大学生活は自由である、という概念が僕らを不安にさせる。
1つに縛られても嫌になるが、何もかもが自由というのも困ったモノだ。
高校生から大学生への変化を何かに例えるなら・・・・
今まで一本道を歩いてきたのに、いつの間にか道も何も無い荒野に放り出されて
「どこに行ってもいい」と言われたような感覚だろう。
だから、その自由であることの不安から自分を遠ざける為に何かを自覚的に、もしくは無自覚的に選択する。
それが大抵の学生はサークルや部活、学生団体だったりするわけだが。

 

本題の“休学の本質”について
休学をしている学生が一部でにわかにもてはやされ始めたこの今現在
どこからか「あーゆーヤツは俺らと違う」「そんな行動力が自分には無い」という声も聞こえてきそうだ。
「休学」= 何か凄い事をする期間“らしい”、というような図式が徐々にできあがる。
またその陰で「ただ休みたいから休んでるんだ、そんな図式を作らないでくれ」という別のタイプの休学者の声も聞こえる。
しかし露骨なまでに「戦略的な休学がなんちゃら」とかいう言説が大きな声を上げる。

 

休学は、一体何なのであろうか。

 

そもそも休学して“何かをする”という部分にスポットライトを当ててる輩が多いのは気のせいだろうか。
「休学して~すべきだ/するものだ」なんて文脈で語る時点で、残念ながら論外である。
なんとなく友達に合わせてサークルに入る事も、流行りに合わせて休学して世界一周する事も、本質的になんら変わりはない。
結局、自分の選択を自覚しているかどうかが大事な気がする。

つまり「休学する」という選択それ自体の意味を考える必要があるのだ。
僕は「このままではよくない」という、自分の本音を聴こうとする学生が取る選択肢として休学は機能する気がする。
それはやりたい事がやれてない状態かもしれないし、ただ忙殺される日々に疲れを感じてる状態かもしれない、他にも様々な場合があるだろう。

学校を休み、“自分の時間を確保する”
ここが決定的な他の選択肢との違いであり、休学の本質だと僕は考える。
その時間を確保する事によって学校社会から束縛される事がなくなるのは確かであり、その休学期間をどう使うか考え出した時、それは自由の刑に処された人生の中で“自覚的に選択していく”ということを既に考え始めているのと同じ事である。
注意してほしいのはそれは何も“より活動的になる事を選択する”ということに限らずだ。

端的に分かりやすく言い換えるなら

休学する事によって“自覚的に選択して生きていく事”を強く意識するきっかけになるということではないだろうか。

「これでいいのだ」

と、バカボンパパのようにあっけらかんに言い放つぐらいでいいじゃないかと僕は思う。
休学の本質が「自覚的に選択する事のきっかけ」であるならば
その期間に海外にいても、国内にいても、自室にひきこもっていたとしても、旅をしていても、留学やインターンをしていても、ベットに寝っ転がっていたとしても。
なぜなら僕らはその時間とその行動を自覚的に選び取っているからだ。

単なる例えにしか過ぎないが、みんなと同じようにサークルに入ったり、ちょっと人とは違う事で流行りの世界一周ブームに乗っかってみたりして
無自覚なままみんなが流れていく方へフラフラ自分も流れていくよりは、「休学の意味を考えて選び取った休学」は何をしたとしてもよっぽど意味のあることじゃないだろうか。

思考が停止したまま、自分の本心から目を逸らしたまま、進み続ける人生はいかがなものだろうか、僕は少なくとも絶対に嫌だなと思う。

最後に、“休学せざる得なかった人”についてだが、僕は今回の記事についてはそこに触れていない。
結局、僕自身の経験からしか言葉にできないからだ。
そういった立場の人の意見、記事を是非読みたいと思っています。

393954_345991918817115_1217539940_n

The following two tabs change content below.
白井 耕平

白井 耕平

武蔵大学の人文学部2年。 アジア、アフリカが好きなヨーロッパ文化学科。 休学して世界一周していました。 旅関連の記事を発信していきます。 白井 耕平の詳細プロフィールページ
このエントリーをはてなブックマークに追加