休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
大学生活で目の前に立ちはだかった『壁』、そして【海外逃亡】
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休学に至るまでの道のりーその1ー

 

まずは簡単に自己紹介

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西貝 友里(ニシガイ ユリ)
【自己紹介】
1990年生まれ、香港・上海歴9年、日中Mix
好きな食べ物:チーズケーキとなす
好きな飲み物:台湾のタピオカミルクティー
趣味:読書とバックパック一人旅
特技:早起きと人見知りと見せかけてさらっと毒を吐くこと

【休学について】
同志社大学文化情報学部(通称:何学ぶんかじょうほう学部)4年次の春学期まで受け、卒業まで残り半年を残して1年間休学。当初の休学理由は『国家公務員試験(外務専門職)に向けて勉強に専念するため』。しかし、私、いまなぜかマレーシアでインターンしております。

【将来の夢】
将来の夢は、日本と海外の架け橋になること。日本も海外も大好きです。
「もっと日本の人に海外に出てもらいたい!海外の人に日本に来てもらいたい!」
そんな思いを持ちながら日々試行錯誤しております。
(ちなみに、写真の「ギリシャ人の彼氏を作りに行く」という夢は儚く散りました。)

※更に詳しいプロフィールはこちら 
 

大学入学に至るまで

さて、プロフィールにも軽く書きましたが、今回は私の大学生活に至るまでの経歴から大学生活、そして【海外逃亡】に至るまでを書きたいと思います。(まだ休学までには至りません。)

私は兵庫県神戸市に生まれ、キリスト教の保育園に通い、小学校3年間は華僑系(授業はすべて中国語)の学校に通って中国教育を受けていました。そして、9歳で父の仕事の関係で香港に。1年間香港に住んで、

「さあー友達とも仲良くなれたし、生活にも慣れて来たぞー!」

と思い始めた頃に、これまた父の仕事の関係で上海に移住、そして高校卒業までの8年間上海に住んでいました。上海では小中学校は日本の教育を5年、高校はアメリカ教育を3年半受け、

「なんで日本で中国語勉強して、中国で日本語と英語勉強してんねん!逆やろ!」

と自分でも突っ込みたくなるような教育を受けて来ました。
高校はインターナショナルスクールだったせいか、当時はアメリカの大学に行くことも視野に入れておりました。しかし、英語が大の苦手で授業が追いつかなかったので高校では毎日勉強しかしていなかったことから、

「もう勉強したくない!遊びたい!!!」

とひとり日本に帰国。

日本に帰国後、『帰国子女入試』という、いわゆる「帰国子女は無理矢理家族に海外に連れて行かれたからね、普通の入試は受けられないもんね、かわいそうだからね。じゃあ入試を小論文と面接と語学試験だけの簡単なものにしてあげましょう。」枠で受けた大学もすべてぽんぽんぽーんと順調に受かって行きました。そして、今思えば何も考えていないただのちゃらんぽらんな当時の私が、「私立ってめっちゃ遊べそうやし♪大学の名前の響きも悪くないし♪」というまあまあ適当な理由で大事な4年間を過ごす場所を決めました。それが『同志社大学』です。(国立行けばよかったー!!!と思った時期もありましたが、今は後悔しておりません。)

 

 大学入学、そして目の前に立ちはだかった3つの『壁』

「やったー!夢の日本での大学生活!一人暮らし!オレンジデイズ!わーい!

サークル!バイト!友達たくさん!彼氏!彼氏!彼氏!うひょー!」

と夢と希望に満ちあふれていた当時19歳の私。しかし、私を待っていたのは想像とはかけ離れた大学生活でした。というのも、入学したあとすぐに、うきうきわくわくしている私の目の前に3つの壁が立ちはだかったのです。

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その3つの壁とは、

1.帰国子女コンプレックス
2.混血コンプレックス
3.逆カルチャーショック

「帰国子女コンプレックス?混血コンプレックス?なんやねん、それ!」

という方にご説明致します。

『帰国子女コンプレックス』とは、日本では帰国子女がやたらと崇拝されており、『エリート』『お金持ち』『語学堪能』というレッテルを貼られ、「実際はそんなことないのに・・・」という理想と現実のギャップに悩んで『帰国子女』ということがコンプレックスになること。

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『混血コンプレックス』とは、日本ではハーフがやたらと崇拝されており、『語学堪能』『容姿端麗』というレッテルを貼られ、「実際はそんなことないのに・・・」という理想と現実のギャップに悩んで『ハーフ』ということがコンプレックスになること。
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(※どっちも造語です。私が勝手につくりました。)

そして、『逆カルチャーショック』はカルチャーショックの逆バージョン。海外生活が長過ぎたが故に、日本での生活になかなか馴染めないこと。
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このようにして、私の大学生活4年間は、『オレンジデイズな大学生活(彼氏うひょー!)』ではなく、『この3つの壁に立ち向かう大学生活』となったのです。
具体的に何に悩んでいたかと言いますと、

「英語ぺらぺらなんでしょー!しゃべってー!」と言われる日々。
(英語本当に嫌いです、それよりも私中国からの帰国子女です。)

「え?中国なの?じゃあ中国語しゃべってー!」と言われる日々。
(中国語しゃべってもわからないと思いますが…。いつも「にーはお!チンジャオロース!」で切り抜けて来ました。)

知らない人の英語、中国語の課題がまわってくる。
(自分でやってください。)

「実際自分のこと日本人と中国人どっちだと思ってるの?」と聞かれる。
(ん?考えたことなかった。どっちかじゃないとだめなの…?)

「中国ってねえ…なんかねえ…」と言われる。
(確かに日中関係は良くないけど…中国に行ったことないのに何で!?)

「あの上海の子」と呼ばれる。
(まあ、上海から帰って来た子ですが…。)

思っていることをストレートに言えない雰囲気。
(「空気を読む」というやつです…。)

そんなことに悩みながら、悶々と大学生活を過ごしていました。

 

そして、『第一回海外逃亡計画』

当初は、「帰国子女ってことを隠し通せばいいんだ!」とか「ハーフって言わなきゃばれないし!」とか、そんなことを思って何を聞かれても黙ったり嘘をついたりしていたのですが、

「けど、それって自分と親を否定することになるんじゃないのかな?」
「何か皆に嘘付いてるみたいで嫌だな」

と、そんな思いがこみ上げて来て、いつの間にか自分の中で葛藤が始まっていました。
そして、そんな小さな悩みが積み重なり、自分の中でずっと葛藤を繰り広げていた私は、

「あれれ、なんだこれ、日本って住みづらい国だなー、もう嫌だなー」

と思い、「そうだ、海外に行こう。」と、「そうだ、京都に行こう。」的なノリで日本から逃げるための『海外逃亡計画』を練りに練って、1回生の春休みに1ヶ月間ロサンゼルスに飛び立ちました。これが、大学生活での『第一回海外逃亡計画』です。

ちなみに、なぜロサンゼルスに行こうと思ったのかと言いますと、もともとはアメリカの大学に進学するつもりだったので、やっぱり日本の大学を辞めてアメリカの大学に行こうと思ったからです。その下見も兼ねて、友達がいるロサンゼルスに行きました。あとは、「うんうん、そうそう、私、春休みL.A.に行って来たの。」と言いたかったという気持ちがなかったかと言ったら嘘になります。だってなんか響きがカッコいいんだもん。

 

つづく

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西貝友里

西貝友里

9歳から高校卒業までの9年間を香港・上海で過ごし、大学でひとり日本に帰国。大学生活中に18ヶ国を周り、その中で「日本と中国」「日本と世界」を繋ぎたいと思いました。そして、色々と試行錯誤した結果、4年次の後半から1年間休学。今はマレーシアでインターンシップをしております。西貝 友里の詳細プロフィール
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