休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
自分の時間だけが止まる~入院という異シャカイ~
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前回記事:自分の時間だけが止まる~入院という異シャカイ~
 
こんばんは

骨髄移植経験者の吉澤です。
前回はこのブログのメインテーマの設定と簡単な自己紹介をしました。
(前記事はこちら⇒外に向かうだけが休学じゃない。【生きる】ための休学。)
自己紹介を見てもらえば分かるように、私のこれまでの人生は病気なしでは語れません。

 

何度も入院し、そのたびにつらい治療と長い入院生活を経験しました。

 当たり前のことができませんでした

 

はっきり言って、病院は

現実社会とは隔絶された場所です。

 

今まで生活していたシャカイから離脱を余儀なくされ、そのシャカイの中での自分の時間が
止まる。

 

自分の時間だけが、止まる。

他の人の時間は今まで通り進むけど、

自分の時間は凍りつき、

病院という別のシャカイでの時間がスタートする。

 

 

 

これが予告もなく急に訪れる。

 

ものすごく残酷。ものすごく厄介。

ただでさえ異シャカイに飛び込むことはリスキーなのに、

 

悩むことすら、選択することすら許されず、いつも強制的に訪れる。

それが、入院。

 

今回は病気が発覚した小学校時代について書きます。

ダイジェストです。

もちろん当時は小学生ですから上に書いたような複雑な考え方はせず、

何も疑わずに言われたことだけを受け入れました。

 

長期入院の意味

病気の重症度

 

なーんにも知らずに笑

小学生だったら、逆にそれがよかったのかも。

 

 

鼻血が止まらない!

私は1990年、9月30日に地元長野市で生まれました。

3人兄弟の末っ子でめちゃくちゃ甘やかされて育ち、野球が大好きな少年でした。

異変が起きたのは、小学校5年の5月。

朝、学校へ行く準備を終え新聞のテレビ欄を見ていると新聞にポタッと

 

赤い液体が落ちました。

 

 

 

鼻血でした。

「うわ鼻血かよ」と思いながらティッシュを鼻に詰め込みしばらく様子をみていました。

10分

 

そして

15分・・・止まらない

 

鼻血だったら、大体15分もあれば止まるじゃないですか?

でも

 

 

30分後・・・止まる気配なし、どんどん出てくる

 

おかしい

ここらへんから母さんとかも結構心配し始めて、氷で冷やしたりした。

 

しかし

45分後・・・両鼻から出始める

 

おかしすぎる

1時間後・・・目から鼻血が出てくる

 

何か怖くなってきた

母さんの知り合いの元看護士の方に電話をかけて師事を仰ぐ。

 

試行錯誤するも止まる気配なくついに2時間経過

母さん「病院に行こう」

こうして鼻血が出てから2時間後、病院へ向かった。

 

 

結局、鼻血が止まったのは正午近くだった。

 

 

起きたことが起きた事だったため、ひとまず検査入院という形で入院することになった。

「まあ1、2週間あれば退院できるでしょ」と母さんとは話していた。

 

数日後、医師から思いもよらない言葉が聞かされた。

「原因が分からないので、大きい大学病院に転院してください」

 

??????

 

駄目だなーこの病院は、なんて思いながら県内の大学病院小児科に転院。

(ちょいちょい、早く検査して学校行かせてよ)

骨髄検査、通称マルクが行われた

めちゃくちゃ痛かった。今まで経験したことないくらい痛かった。

泣きまくった。ひたすら泣きまくった。その叫び声は病棟中に響き渡った(後に同じ病室の愉快な仲間たちにいじられる結果となる)

 

検査の結果、病名が告げられた。

 

「再生不良性貧血です」 (⇒再生不良性貧血とは?)

 

(要は骨髄の働きが弱まり、白血球や赤血球や血小板の産生が減少してしまう病気。

それによって細菌感染や貧血、血が止まらないなどの症状が出る。

治癒には、化学療法か骨髄移植しかない。)

 

医師「長期戦です」

 

小学5年にして、シャカイの時間が止まった。

小学生と大学生の違い

こうして10カ月にわたる入院生活が始まったのです。

現実から隔絶され、入院生活で待っていたのは、

そう、

壮絶な治療、

 

 

 

 

ではなく意外なものだった。

私は家族や友人の悲しみや心配をよそに

小児科入院ライフを楽しんだのだった。

 

 

すいません、

前半シリアスに書いといて終盤何やねんて感じなんですが。

導入部の考えは大学で入院した時に実感したもので、

今となっては小学校時代の入院もそうだったのかなとふりかえってみたんです。

断固たる決意とか、立ち向かう勇気とかなーんも持たず、

自分で何すればいいか分からないからとりあえず人に言われたとおりにする。

まあ、小学生ならそれはしょうがないと思います。

なぜなら後ろ盾があったから。

親がいたから。家族がいたから。

自分を守ってくれる人たちがいたから。

なんとかなったんです。

 

でも大学入って成人してそれとまた同じことの繰り返しができるかっていったら必ずしもそうではない。

もちろん頼るべきところは頼るが、いつまでも子供のように甘えることはできない。

もはや私たちはどんな状況でも、

自分の置かれている現実を受け入れる勇気と

それに対して自分で責任を持って立ち向かう勇気

が必要なんだと思う。

 

 

なぜ小児科入院生活を楽しめたのかの理由は具体的には次回の記事に書きますが、大学時代の入院を乗り越えられた要因と限りなく近い、というかほぼ同じものです。

 

キーワードは「承認欲求

 

 

<今回のジャン魂G・テーマ・万物の三本柱>

妻が握るもの三本柱 信用できないもの三本柱

1おにぎり 1お金

2子どもの手 2株

3夫の弱み 3プリクラの顔写真

長野市・ほんわかほ耕介 長野市・ほんわかほ耕介

次回記事:小児がん合宿~抗がん剤から肝試しまで~

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吉澤 耕介

吉澤 耕介

千葉大学3年時に持病の血液疾患が悪化。 みんなが留学や世界一周のために休学してるなか、骨髄移植を受けるため休学を余儀無くされる。そして今、僕はドナーさんの細胞と自分の細胞と共に、第2の人生を歩んでいる。 吉澤 耕介の詳細プロフィールページ
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