こんにちは。
前回の記事:英語力がないんじゃない。コミュニケーション力がないだけ。 - Fijiが教えてくれたこと -
話に入る前に私の方から一つ質問させてください。
あなたは最近、いつ挫折をしましたか?
こんな人へ
・今、頑張っている全ての人へ
ではでは、話していきたいと思います!
伝えたいことはただ一つ
今日、私が伝えたいことはただ一つ。
挫折(悔しい思い)を味わってください!
まあ、なんだかんだでなんとかなるでしょー説
冒頭で皆さんに問いかけた質問の私の答えを教えたいと思います。
その前に、私の今までの生活を簡単に振返えさせてください。
正直、私は挫折をこの歳になるまでしてこなかった。大学受験失敗も、授業中爆睡しててテスト範囲が分からなくなっても、車の仮免試験3回落ちても、英語でうまく伝えることができなくても、 いつもの頭の中には、
まあね、なんとかなるでしょーv(*´▽`*)v だって、別に人生終わるわけじゃないんだしさ(*^^)vえへへ
と、まさに上の顔文字のような考えのまま21歳を迎えてしまった。この考えのままで来てしまった結果、
“日本の大学は入るのが難しくて、出るのは簡単だ。外国の大学は入るのが簡単で出るのがむずかしい”
とよく言われる海外大学に進学した私を心配した友達に、
“まあ、難しいってみんないうけど、なんとかなるでしょー。だって、卒業できなきゃ学校人でいっぱいになっちゃうじゃん。笑 大丈夫だよ、ちゃんと3年で卒業できるから平気だって(*^^)v”
と余裕ぶっこいだアホ発言をしてしまったのだ。 だが、そんな風に人生が上手くいく人なんて当然だがいない。
そして、悲劇は突然やってきた。
大学入って1カ月くらい経ったときのこと。レポートの返却で先生が私の名前を呼んだ。
返却されたレポートと一緒に渡された評価シートには、F(Fail=不可)と書かれ、一言。
“これで、よく大学入れたね。日本でレポートの書き方習ってこなかったの?………”
レポートのコメント欄には、一言も書かれてなく、そもそもレポート自体読まれていなかったのだ。 提出した当時の状態で返ってきただけだった。
これが、人生初の挫折。
日本の大学にいたときは、レポートを出せばA評価で返ってくる、それだけ私はライティングが好きだったし、自信もあった。 ちなみに、その後の1週間は絵に描いたようにどん底まで落ちるだけ落ちていく、負のスパイラル生活を送っていた。
人間頑張ってもな、できないもんはできないんだよ( *`ω´)説

レポートを落としたショックと、読まれれすらいなかったことに対する屈辱感、そして、遊んでいたクラスメイトに負けた悔しさで私は完全に自信喪失状態に陥ってた。
→てか、一体、日本の大学で何を学んできたの → うわーこんなんで単位もらえるの?やばい。再履修? → もー学校行きたくない →もう。だめだ。もう、嫌。もう、日本帰ろう。今から日本の大学に編入しよう。→ でも、ここで戻ったら笑い者だ → いや、北海道に引っ越すか。むしろ病気になったことにするか。→ てか、こんなのもパスできないなんてバカだわ……→ ……
この堂々巡りが1週間続いたある日気づいたことがあった。
今までの環境は“たまたま” “運” が“よかった”だけだった、ということ。
先生の言う通り、私は英語学部に在籍していながら英文レポートの書き方すら知らなかったのだ。英語学部生が本来学ばなきゃいけないこと私は学んでこなかったのかもしれない。私のレポートは内容以前の問題だったのだ。
この時、私の脳の中で描かれていた、
まぁーなんだかんだでなんとかなるでしょーv(*´▽`*)v説
は一気に崩れ去り、新し
く頑張ってもどうにもならないことがある説。
ができたのだ。
しかし、不思議なことに落ちるところまで落ちていったら、自然と顔が前を向いていた。
本気で頑張ったけど、私の努力が足りなかっただけのこと。だからだめだった。だから、もっと頑張んなきゃいけないんだ。 なんとかならないなら、自分でなんとかなるまでやるしかない。
本気だから挫折した

さて、自分の経験を長々と書いてしまったが、伝えたいことはただ一つ。冒頭でも伝えたように、
挫折(悔しい思い)を味わってください。といこと。
もちろん、悔しい!って思う度合いや挫折のとらえ方は人それぞれ違う。でも、私が思うに、挫折は本気で頑張った人にしか訪れない感情だと思う。
死ぬ気でレポートを書いた。朝からずっと部屋に籠ってパソコンと睨めっこした。それでも、読まれることなく不可になった。
一生懸命やったからこそ認めてもらいたかった。本気で頑張ったからこそ、すっごく悔しかった。そして、21年間生きて初めて心が一気に折れていった。
だが、挫折を味わったことで、自分の置かれている状況(環境)、そして、今までの行いを振り返ることができた。
日本にいたときそんな感情、微塵も味わったことなかった。すべて日本語だから困ることはまずなかった。たくさんの幸運が重なってできただけにすぎないかったのだ。それは自分の知恵や知識を使ったことにはならない。だが、私は、
たまたまの幸運 = 自分の実力
と捉えてしまい、知らず知らずのうちに自分で自分を甘やかした。
自分の置かれている今の環境は日本にいたときと比べ物にならないくらいきつい。少し、他のことに気を取られてるとすぐに置いて行かれる。だから、1秒たりとも気が抜けない。そんな大学生活を送っているが、早い段階で挫折を味わうことができたおかげで、自分のすべきことが分かった。
挫折なんて、できるなら避けて通りたいけど、挫折を味わった人ほど私には強く映る。
そんな人たちに共通しているのは、今まで置かれた環境を一転させているということだ。そして、挫折を乗り越えた彼らに共通しているのもまた、輝きの度合いが違うということだ。
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張 程宜
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