休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
武蔵大学に絶望した日々〜大学1年生〜
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武蔵大学に、自分に、絶望し続けた日々

「おぇぇぇええぇっっっ・・・・うっぷ・・おぇぇ・・」
朝、出勤するサラリーマン達が行き交う駅で吐瀉物を吐き散らかしてる男がいた。
だらしないほどズリ下げたジーパンはゲロまみれだ。
また両目は血走り、顔は青白く明らかに悪酔いしているようだった。
プラットホームの隅で四つん這いになってうずくまるその男を
通りすがる人たちは気にも留めずに会社や学校へと足を早める。

 

2011年の春、その男とは当時大学1年生の僕だった。

平衡感覚を失ったまま千鳥足で、虚ろな目を左右に泳がせながらなんとか家の方角へと歩こうとするその姿は、当時の自分の人生をそのまま反映していたのかもしれない。受験戦争に見事敗北を喫し、武蔵大学に目的もなく入学、小中高と続けてきたサッカーを辞め、中学2年生の時から好きだった女の子も居なくなった。
その代わり、酒と煙草とクラブ遊びを覚えた。
別に楽しい時も、もちろんあった。
1人暮らしのヤツの家で高校時代の友達と酒を飲みながらくだらない話をしている時、クラブで知らない女の子と仲良くなった時、苦手なウイスキーショットをその場に居合わせた人たちとイッキした後の高揚感。

確かに楽しかった。

でもどこか虚しかった。

クラブ帰りの朝方、なんとか家に辿り着くと
親も弟も会社や学校に行ったようだった。
朦朧とする頭を抱えながら敷きっぱなしの布団に倒れ込む。
薄暗い部屋の中で、ふと時計を見る ―・・A.M09:00
携帯で画像保存した時間割を確認すると、1限フランス語文法。
「もうどうにでもなれよぉ・・・」
そう力無く呟いた事なんて、この当時は幾度となくあった。
僕には「夢」も「やりたい事」も無かった。
高校生の時は、打ち込めるものがあって学校に友達もいっぱいいた。
勉強はちょっと苦手で赤点越えるので精一杯だったけど、でもそんな事は進級さえできればどうでもよかった。
行事は毎回凄く楽しかったし、長期休みは友達と旅行に行ったりした。
高校生活それ自体は、今振り返ってみると「青春の代名詞」と言っても過言じゃなかっただろう。
ここではその内容については割愛するが、まぁそういう事だ。
だから高校時代よりも自由になると聞く大学生活に、期待をしてなかったわけでもないし、多分人並みにワクワクしていたんだと思う。
どこでそうなったのか未だに分からないのだが、結局僕はその大学生活にうまく馴染む事が出来なかった。
真面目そうな人たちが集まるクラスの中で、どっかのラッパーの様な格好をした僕は明らかに場違いで、それに加えて授業もサボりがちだった。
大きなサークルにでも入れば友達なんてできただろうに、僕はこの当時「大学生」を毛嫌いする節があった。自分も大学生なのに。
同じ髪型、同じ服装、同じ遊び方、同じ思考回路、極めつけはみんな就活という入口をくぐって就職。

つまらない人たちが集まる場所、大学。

正直、新歓と呼ばれる行事が終わるころには自分の中にこういった偏見が芽を出していた。
いつの間にか僕は「ぼっち」と呼ばれるヤツになっていたみたいで、
他の新一年生はちゃんと自分たちのコミュニティを形成しているように見えた。
今までサッカー部という大所帯に囲まれてきた僕にとってこれほどツラい事は無かった。

僕は1人になった事を自覚すると、途端に酷く臆病で卑屈な人間になった。

人の居る所ではわざと場違いな発言を繰り返した。
キャンパス内では四六時中イヤホンを耳に突っ込んで、
「リア充」と呼ばれる人たちの会話を遮った。
下を向きながら教室を移動し、聞く気も無い授業を寝て過ごす1日は

人生史上、最高につまらなかった。

飲めない酒を呷って大学の愚痴を吐く、大学一年の時のその姿が今まででもっとも惨めでズルい自分の姿だった。

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白井 耕平

白井 耕平

武蔵大学の人文学部2年。 アジア、アフリカが好きなヨーロッパ文化学科。 休学して世界一周していました。 旅関連の記事を発信していきます。 白井 耕平の詳細プロフィールページ
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