前回の記事⇒大学生の僕に世界は変えられない
「深夜特急の世界が見たいなら、西アフリカだよ」
そう言って、彼は自分の話を締め括った。
灰皿に置かれた煙草はとう燃え尽き灰と化し、天井で回る扇風機の羽からゆるやかに吹く風に飛ばされてどこかへと散っていた。
つまり、煙草を吸うのも忘れるほど聞き入っていたということだ。
7月のバラナシは深夜2時を回っても蒸し暑く、停電が起きて扇風機が止まればじわりと汗が滲みだす。
「BABA」と呼ばれる有名な日本人宿は、3階建てで2階と3階の中央は吹き抜けだ。
フロアはロの字型に廊下があるが、その廊下の片隅に低い木造りの机と薄汚れたソファ1つ、そして一人用の腰掛けが2つ、机を囲むように置いてある。
そこでその彼と出会った。
東回りで出発しアフリカのほとんどの国を踏破した後に、インドに来たのだという。
金髪でパーマ、ボサボサに伸びきった髪、端正な顔立ち、長期旅行者にありがちなエスニックな服装とは違った、日本でも着てそうなジーパンにTシャツ。
名前を「マサキ」と名乗った、どうやら僕よりも約10歳ぐらい年上のようだった。
今まで初対面の旅人に出会う度に何度も話してきた、もはやテンプレート化された旅の話や身の上の事を当たり障りなくお互いに交換する。
大きく歳は離れてるもののマサキさんは先輩風を吹かす事も無く、フランクに話せる「良い大人」だった。
しかし、アフリカの旅事情についての話題になった途端だった。
宿内に灯された電灯が作る逆光の暗闇の中に潜む、それまでの初対面独特の他人行儀な表情が音を立てるかのように変化した。
それはまるで唐突な衝撃や奇怪な事件の後の様な未だ整理のつかない事に対する、どこか困惑しているような感情が滲み出ている顔だった。
彼は淡々と語り出す。
「西アフリカに観光資源はほとんどと言っていいほど無いよ、それに警察や軍の奴らは腐りきっててビザ申請の大使館とか国境で賄賂を要求してくるし、俺は一度不当逮捕されて刑務所にぶち込まれたこともある」
「交通ルートとか旅に必要な情報は一番乏しい地域だし、移動自体も他の地域の比べ物にならないほどハード、なんせ世界でも最も貧しい国々からオンボロタクシーに詰め込まれて長時間移動が普通かな」
「治安が良くないのは当たり前だし、マラリアの発症率も高い。俺自身、二度マラリアに罹って一回は帰国してる」
「あそこを旅するには知識、体力、情報力を総動員させないと厳しいだろうね」
「でも、あの地域が一番燃えたよ俺は」
マサキさんは僕の反応を窺うようにそこで一旦言葉を切った。
僕は彼の口から出てきた言葉に半ば混乱しながら、衝撃的なキーワードを頭の中に並べた。
“観光地の無い地域”
“警察や軍から要求される賄賂”
“不当逮捕”
“情報が無い”
“最も貧しい”
“治安が悪い”
“マラリア”
“旅人が燃える地域”
ヒュンヒュン・・・ヒュンヒュンヒュンヒュン・・・・
頭上で扇風機が回転を続ける音だけが聴こえ、ゆるやかな風が身体の表面を流れ落ちていき、へばりつくような湿っ気た空気をいくらかは払い落してくれる。
どうにも動揺を隠しきれなくなり、思わず煙草の箱に手を伸ばし一本口にくわえて火を付けた。
西アフリカそのものに対する衝撃ももちろんだが、そんな一歩間違えたら死んでも文句の言えないような地域を旅してきたという、目の前に座るこの男に驚愕した。
大仰にそのエピソードについて語られたらあまりの嘘臭さに苦笑いで返すところだろう。
しかし彼の言葉はそういった装飾を一切感じない、至って「事実をありのまま伝える」というようなトーンだったのだ。
じっとりとした汗がゆっくりと背筋を伝っていくのがわかった。
古びた低い木造りの机を挟んだ向こう側にいる人間が、いまやただの旅行者には見えなくなっていた。
にじり出すような声で僕は彼に言った。
『僕も西アフリカに行きたいです』
未知だと聞いて、危険だと聞いたら
逆に好奇心を掻き立てられるのが男の子というモノだろう。
血沸き肉躍る、人生を賭けた本当の大冒険。
そんなフレーズが頭に浮かんだ時には、もう西アフリカ行きが決まっていた。
もちろん、出発当初の予定なんて無視だ。
旅が人生の縮図かどうかはわからないが、自分の進路を自分で決めながら進む旅は時に一大決断を僕に迫る。
「覚悟を決める」というセリフに、今までで最も中身が詰まっていた瞬間は多分この時だろう。
「旅をする」という事の定義がなんなのか僕には分からないし、どうだってよかった。
ー・・ただ、血液が沸騰するぐらい熱くなれる実感を求めていたんだと思う。






