休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
7.【黒人と白人mixしない?☆】女がアフリカでボランティアしてみたら?
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先週は、アンチ『普通の大学生』|【休学・旅・ボランティア】こそが特別?を書きました。
前々回までの休学記事→6.休学後、最初の半年間inアメリカ|【私を変えた現実7選】後篇でアメリカでの生活や活動について軽く触れて行きました。
今回から2,3回に分けて、アフリカはモザンビークでの活動を書いていこうと思います~!

 

◆ありのままに、リアルを。

私が現地で体感した全てのことをリアルに伝えていきます。

・アフリカでボランティアしてみたい!
・途上国に興味がある!
・アフリカって…危なくないの?大丈夫?
・ゾウとかキリンとか裸族とかいんの?

そう考えてるあなたに読んでもらいたいです。
今回の記事は現地での【辛かった体験】を書いています。
何が一番大変だった?と聞かれることが多かったので、それについて!

 

◆まずは、私がやってきたことを。

Total Control of the Epidemic-TB?
私がモザンビークで参加したプロジェクトの名前がTCE-TBと言って、「伝染病総合コントロール」の結核部門でボランティアしてました。「ボランティア」と言っても家が保証され、生活費をもらえる有給ボランティアです。
活動内容としてざっくり書くと
・結核に関するゲリラ教育活動
・新規結核患者を探す。
・治療(6か月)を受けてもらえるように病院と協力。
・長期治療は患者の負担が大きいため、保護監視者も見つける。
・登録患者の様子を見に行く。
と、こんな感じです!まったくもって医療的な資格の必要な活動ではありません。

そんな活動を6ヶ月やってみて感じたことを書いていきまーす!

 

◆言葉がわからないという半端ないストレス

モザンビークの公用語:ポルトガル語。
当時の私が言えた言葉:「ありがとう」「おはよう」「私の名前は亜紀です」程度。
<問題>
ボランティア含む全ワーカー150人程度のプロジェクトで英語がちゃんと話せるの2人だけ。

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言葉がわからない、通じないというストレスは本当につらい。

活動中に同行していたのは、もちろんポルトガル語しか話さない現地ボランティア。お互いの意思疎通もままならないけど、彼らは私たちを優しく迎えてくれいた…と思っていた。

「君と結婚したいよー!」「恋人にならない?」

私が一番初めに覚えた文章はこの二つ。そう、彼らにもっとも多く言われていた言葉。
今思えば、現地の男性からの口説きと言語ストレスでそうとう精神をすり減らされた。
慣れない環境に順応するストレスに加えのダブルパンチで、ストレス性腸炎に悩まされた最初の2カ月は、まともに仕事もできなかった。

 

◆女であること。日本人であること。

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一人の女性であり、日本人=白っぽい肌を持つということで注目を浴びるのは想像し易い…。彼らからすれば私たちは「白人」であって、道を歩いていても「ムズング(白人の意)!」「チンチョンチャン!(中国人の呼び方」と声をかけられる。
それだけならまだいい。

人種・性差別は存在する。

でもこれは別に悪い意味だけではなく、上にも書いたように、口説かれることもその一つ。
女性であることと白い肌を持つ人で、中国人じゃないとわかると冗談でも子供を作ろうよーといった言葉をかけられる。それがタイトルの【黒人と白人mixしない?☆】という言葉。
何度この口説き文句を言われたかわからないほど言われた。
女であるから、スリに合うのか。
日本人であるから、目立つのか。
真実はわからないものの、外国人として注目され、お金を持っていると思われていたのは確か。
これはコミュニティに住む人だけではなく、一緒に働く仲間においても同じ。
私たちはお給料をもらってる(ワーカーより定額)=お金持ち
被害妄想かもしれないけれど、常に何かをねだられているような気がしていた半年を過ごしたかな、と今になって思う…。

 

◆一人になりたい。人間恐怖症。

215588_448630465159829_969231773_n一緒にモザンビークで半年間頑張ったトリオ。韓国人と日本人!

言葉もわからないし、モザンビークの男の人を良く思っていなかった私は、友達が本当にできなかった。仲良くなったのは、ワーカー数名とコミュニティに住む男の子2人、そして幼稚園の園長。このくらい。本当に数えられる程度。
もともと、人に対して余計な警戒心を持ってしまうタイプだったのがここにきて炸裂し、冗談でも口説いてくる男の人=嫌いという方程式が頭の中で出来上がってしまい、壁を作ってしまっていた。
女の子ももちろんたくさんいたけど、言葉がわからないし、日本人・韓国人の男の子の同僚にキャーキャー言う彼女らを避けてしまっていた。

本気で、人と関わりたくなかった。

私の名前、Akiは、ポルトガル語で”ここ”を表すaqui(アキー)と発音が似ているため、自己紹介をしてもなかなかわかってもらえず、覚えてもらえなかった。だからいつも「menina!」と「ヘイガール!」的な呼び方を現地の女の子からされていて、でも同僚たちはしっかり名前を呼んでもらっていて…
それが本当に、すっごく悔しかった。
いつもいつも
「ヘイガール!今日taka(同僚)はどこにいったの?Ji(同僚)は?」と顔を合わせれば、名前を覚えている彼らのことを聞く。
今思うと、きっと彼女たちは私にも優しく接してくれていたんだろうけど、当時の私は強烈な劣等感を感じていたため、彼女たちと関わりたくなかった。

言葉もわからない。話せない。一人になりたい。

言語からくるストレス、うざいほど下ネタや口説きの冗談を言ってくるモザン人の男の人、そして孤独。
全部の要素が合わさって、ついに体調を崩してしまった。
ストレスから来る腹痛で仕事に行くことができない日々を2カ月弱過ごした。

◆それでもやっぱり、モザンが好き…理由?

この3つがモザンビークで生活を始めた2カ月で私が感じたもっとも辛かったことたち。
日常生活や活動内容中にも小さな困難はたくさんあったけど、精神的に追い込まれたのはこういった仕事とはほとんど関係のない部分だったかな、と。

でも、これだけ辛い経験をしても、本当に大好きでこれからも関わっていきたい!またいつか戻りたい!と思った国がモザンビーク。

その理由になったモザンビークの素敵だ!と思ったところと、もっと詳しい活動内容を書いていこうと思います^^
そんな次の記事はこちら☆
8.【マラリア・コレラ欲張り放題☆】なぜアフリカ大陸は魅力的なのか?

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中上 亜紀

中上 亜紀

高校の頃からアフリカに憧れていて千葉大学を3年生の後期に休学し、モザンビーク行っちゃいました。好きなことは話すこと。好きなものは人。 現在はマラウイで活動中。 中上 亜紀の詳細プロフィールページ
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