休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
6.休学後、最初の半年間inアメリカ|【私を変えた現実7選】後篇
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前記事はこちら⇒5.休学後、まずはアメリカへ|【私を変えた現実7選】前篇

前回の記事では、夢と期待を胸に飛び立ったアメリカで「私を変えた現実7選」のうちの3つを書いた。
どの経験も、行っている最中は本当に辛くて大変でしかなかった。でも不思議と終わってみればすべて「やってよかったな」と思える経験に変わっていて、おまけに自分を見直すきっかけにもなってくれた。
今回は、そんな7つの現実のうち残り4つについて触れていこうと思う。

◆伝えたいこと

海外での経験は、悪いことだけではなくて良いことも自分を形成する時の糧になります。
人の汚さや温かさに触れられるチャンスは存分にかみしめ、時には命が危険にさらされることすら、「あ、生きてるんだ私」と何気ない幸せを与えてくれます。笑
そう思わせてくれた出来事を今回も書いていきます。

4.車上荒らし

<予想?>車を止めて募金稼ぎ~!
<結果>窓ガラス割れる⇒中身からっぽの車が残ってる
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わかります?座席に広がる窓ガラスの破片…苦笑
初めてのファンドレイジング(前回記事参照)中に、車上荒らしにあいましたー!

基本的に車をどこかに止めて、ストリートやお店、住宅地を練り歩き募金を募るファンドレイジング。
その日は運がよく、ある家から$100の寄付をもらいテンションの上がった私は、迎えに来たメンバーからその事実を知らされた。
~窓が割られて、車の中は空っぽ~
たまたま移動日だったために(カウチサーフィンを利用していろんな家に泊めてもらっていた)車に置いていた4人分のバックパックに加え、3台のパソコン、2つのパスポート、2つの財布、その日までの4日分の募金…すべてをきれいさっぱり失った。
今までで最高金額の寄付をもらっても、その日までのものを全て失った私たちは、寮まで戻っても団体の代表に皮肉を言われたりと、とりあえずかなりのショックを受けた。

物事は思うようには進まない

自分たちの不注意とは重々承知。でも、何が行く手を阻み、物事が不利に動くかはわからない。+から-に落ち込み、それでもそこから這い上がることを体感させられた出来事。

5.募金文化

<予想>家を回って募金活動とかイメージできん。集まるんかな?
<結果>優しい人が多く、ドア越しに$100くれることも。
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アメリカは全体的にキリスト教徒が多いからか募金の文化が強く根付いていると思った。
ある日の日本で、外国人が呼び鈴を鳴らし、片言の日本語で「アフリカのために募金しませんか?」と言われて100円でも差し出す人がいるのだろうか。
アメリカでは、$1はおろか$100の寄付をくれる人もいた。
完全なるアジア人である私が、拙い英語で”would you like~”と寄付を乞うと、道端でも、ドア越しでも、スーパーの前でも、多くの人がポケットから現金や小切手を取り出して寄付してくれた。
これは、door to doorや店頭での寄付金集めが一般的で、加えて”募金”そのものが社会に馴染んでいるからこその現状だと思う。
前回書いたように、死ね!消え失せろ!アフリカなんてクソだ!と心ない言葉を浴びさせられることもあった。それでも、”good luck hunny!” “stay warm darling” という言葉と共に募金をくれる人が大半だった。
結果的に彼らアメリカ人をはじめとする出会った人々全てのおかげで私はモザンビークに行くことができた。
世界には人を思いやる文化や習慣が多く、優しさが溢れている
思っていたよりも、社会というものは、個人に対して優しいものだった。

6.韓国と日本

<予想>日韓問題とかよくわからん。韓国人の友達できるかな~
<結果>友達はできるし、良い人が多い。でも、そんなに甘くない。
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チームの2人を含め、私の参加するNPOには韓国人がたくさんいた。
みんな本当に良い人で、韓国語を勉強したいという私の面倒をずっと見てくれていた。
中には、「韓国に居た時は反日デモに参加していたよ!」なんて人もいたけど、私たちに出会ってからは「日本人は好きだよ。」と言ってくれるようになった。
そんな彼らに習った韓国語を使って韓国スーパーの前で寄付金集めをすることが多かった私は、色んなタイプの韓国人に出会った。
私が日本人だと分かると「竹島は韓国のものだ!」と言う人もいれば、戦時中の話を日本語でしてくれるお爺さんもいた。反日感情の強い人にも、親日の人にも出会った。
そしてわかったのは、彼らの助け合いの心。最初は誰しもが、私に募金してくれ、そこからの会話で反日/親日だと気付かされた。
毎日同じ場所で13時間も活動していると顔を覚えてくれることもあって、「またいるのー!寒くないの?」「温かいもの飲みなさいー!」と、食べきれないほどの飲み物やお菓子などのプレゼントをくれた人が多かった。(韓国人のふりしてたからかな…)
韓国人同士で助け合おうとする姿勢はおろか、同じアジア人として日本人の私にも優しく接してくれる
反日感情を煽るような報道も多い韓国では、私たちを敵対視するような傾向も少なくはない。しかし、彼らも1人の人。何気ない一言に傷つけられ、ときには涙を流すこともあったけど、彼らの助け合いの心には何度救われたかわからない、心温まる経験だった。

 

7.ベリーズで謎の高熱=臨死体験

<予想>ベリーズでボランティア!中米ボランティアってどんなの?孤児とかと遊ぶとか?
<結果>炎天下の肉体労働。大量の虫にやられて…
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アメリカへの入国がESTA(入国許可証)だったために、3ヶ月目にベリーズという中米の国にボランティアに行った。
各家庭を回り畑の作り方を教え、そこで作物を育ててもらおう!という内容のボランティアだったが、早々に私は体調を崩してしまい、現地滞在が8日くらいしか無いにも関わらず、4,5日はベッドの中で過ごした。何とも不甲斐ない経験である。
原因は大量の虫さされ。蚊はもちろんのこと、サンフライという小さな吸血虫がいて、そいつらに全身数10か所を刺された私は高熱にうなされた。
おそらく40℃は軽く超えて、泣きながら友達に「リーダーに電話して病院に連れて行って」と伝え、深夜に緊急病院へ。
本気で死ぬと思った。そのくらい身体はだるく、高熱の中意識がもうろうとしながら、なんとか会話をしていた。
診察をしてもらったけど、原因不明のため抗生物質の様なものを飲まされ、体調は回復した。今でも思い出すあの時の辛さは文字通りの異常
元気に生活して、動き回れることがどれだけ恵まれているかを痛感した。
それと同時に、見知らぬ土地で体調を崩すことがどれだけ不安で怖いのかも実感した。
アフリカに行く前に予行演習ができたいい経験になった。

 

◆全ての道はローマに通ず

物事を行っている最中は、正解/不正解かを追求したがるし、何がそうなのかもわからない。
でも、終わってみれば自然とそれは正解へと導かれている。
失敗した!辛い!と思う経験も、過ぎてから振り返ってみれば全部自分が歩いてきた軌跡を作り上げてくれている一つの要素。
自分が取り組んだことをうやって正解に変えていくのかが、何か物事に取り組むときの醍醐味であって、一番楽しいポイントなのかもしれないな、と今になって思うアメリカでの半年間でした。

次の記事はこちら⇒アンチ『普通の大学生』|【休学・旅・留学】こそが特別?

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中上 亜紀

中上 亜紀

高校の頃からアフリカに憧れていて千葉大学を3年生の後期に休学し、モザンビーク行っちゃいました。好きなことは話すこと。好きなものは人。 現在はマラウイで活動中。 中上 亜紀の詳細プロフィールページ
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