休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
5.休学後、まずはアメリカへ|【私を変えた現実7選】前篇
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前記事はこちら⇒【インド】でボランティア|衝撃を吸収、そして就職活動…?

「少しだけ人生を遠回りしてみよう。アフリカの地を踏んでから就活しよう。」と休学を決意し、アメリカで6ヶ月研修を受けてからアフリカのNGOで6ヶ月ボランティアする12ヶ月のプログラムを選んだ。
8月1日に始まる研修に参加するため、休学を決意してから2カ月後、2011年7月29日にマサチューセッツ州へと飛び立った。

◆最初に伝えたいこと

休学すれば、違った自分に出会える、変わることができると考えてる人へ。

人は簡単に代わることができる。ただし、その変化が必ずしも良いとは限らない。

必要なのは、その変化をどう捉えて自分に落とし込むか。

私はこの休学を経て、良い部分と悪い部分の両方で変わった。

・アメリカに行けば英語がペラペラ!
・留学生活をENJOYできる!
・親の脛かじって楽しい毎日in海外!
そんな想像をしている人がいれば、海外での生活は楽しいことばかりじゃないと声を大にして伝えたい。
それなりに辛い思いも大変な思いもして、まとめて「行って良かったな」と言える1年間だったので。

<休学の大まかな目的>
①”英語ができない”という挫折を味わう
②開発に関する知識を身につける
③アフリカのリアルを体感する

海外に行ってみた1年間で、「あーもう辞めたいわ、帰りたい」と思ったことはおそらく300回は軽く超える。
その中でもいくつかをこれから取り上げたいと思っているけど、今回はアメリカの生活で私を成長させたきっかけ7個のうち3個を取り上げて書いていこうと思う。

1.研修先の環境

<予想>多国籍な研修機関!各国に友達できる&英語も上達して、開発の知識も身に着く!
<結果>外国語英語で問題なし!授業の内容は…。

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年齢も経歴もほんっとうにバラバラなブラジル人・韓国人・日本人(20歳~38歳)が所属するチームで研修がスタート。
スクールでは私達8月チームのほか数チームと、敷地内にある建物で1つ屋根の下暮らし。
授業は月~土で8時から22時までみっちりと組まれていて、中にはスポーツや映画鑑賞(開発関連)も含まれていた。

研修が始まってみて、内容のレベルに幻滅した。
このプログラムに参加するためには、特別な試験もなければTOEICによる足きりも必要ない。
そのためチーム内の英語力から、開発に関する知識は本当にピンキリで、「安くで海外いけるし~♪」なんて安易な考えで参加する人もいたと思う。

「HIVとAIDSの違い知らん・貧困の状況には興味なし。それでなぜこのプログラムに?
当たり前のことしか授業でせえへん。あー来るとこ間違った。」

“こんな内容なら参加するんじゃなかった。アフリカへ行ってしまおうかな”と、自分で現地のNPOを探し始めたのは研修開始1週間後。
“お前は一体何様なんだ?”と言わずにはいられないような上から目線で気取っていたと思う。他人を見下す悪い癖を実感した瞬間だった。
「今まで何かにつまづくと、それを正当化して逃げてきた過去しかない。どうせ自腹ではアフリカに行けないし、最後までやってみよう。」と自分に言い聞かせ、なんとか半年間やりきった。
【超】基礎の勉強が主な授業内容は後半に入って本格化したし、共同生活も寄付金集めも文句を言いながらやり遂げた。
終わってみれば全て価値のある経験で、良い物も悪い物も全てが合わさって「私」の中に還元されたと思う。
極限まで体力と精神をすり減らされた戦いで、ちょびっとだけ強くなれた研修だった。

2.たいして伸びない英語

<予想>発音鍛えて苦手な文法も克服したい!
<結果>伝わる英語が伸びる。文法<<<broken English

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もともと「超」がつくほど文法が苦手で、そこを伸ばす!+ネイティブみたいな発音になりたい!という希望を持って参加してみたものの・・・

英語って意外と通じる。

極端に言ってしまえば”I go school yesterday”でも意味は通じる。正直こんなもんでコミュニケーションはとれるので十分。
予想に反して、研修が開始してから【挫折】を経験するほど英語に困ることはなく、授業も難なく参加したしファンドレイジング中の営業活動もまったく苦労しなかった。
ましてや住んでる環境は外国人英語が飛び交う所。文法がどう発音がどうなんて追求する必要がなかった。
つまり、ネイティブ級会話の必要に強いられない=発音がどうとかスラングがどうとかいう以前にコミュニケーション取れて完了
しかしもちろんこれでは、英語が話せるだけであってできるわけではない。そんなことにも気付かずアメリカ人と交流をしていた浮かれ調子だった私は帰国後のTOEICで現実を見た。
点数は大幅に伸びたものの、苦手な文法は克服できてないという事実に直面し、改めて自分のできなさ加減を思い知らされた。
努力が足りなかったのは言うまでもなく、これは「アメリカに行くから英語が伸びるだろう!」となんとなしに現地に入り浸った結果が顕著に現れた例
現地での過ごし方をもう少し考えればよかったな、と後悔した出来事の一つ。

3.Fundraising(寄付金集め)

<予想>クッキーとか売ったり、営業したり?募金活動的な?
<結果>【超】体力勝負。精神的に追い詰められる毎日、辛すぎる。

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アフリカのどこかの国に派遣されてボランティア活動するにあたって、”ファンドレイジング”がこのプログラムの一環として組み込まれていた。
見知らぬアメリカの土地で各自60万円の”寄付金集め”がチームとして行われる。つまり、チーム8人で480万円もの大金を集める必要があった。
6か月の研修期間中の2か月をこの募金活動に費やさなければなかったが、一言で表すとただの地獄
(準備)
1.地図を見て、募金活動先(州は決まってる)のために人が多そうな町を探す。
2.賑やかな道や大きいスーパーをgoogle earthで見つけて、リストアップ。
3.電話を掛けまくって、店前で募金活動できるか許可を取る

(いざ活動:2グループに分かれて決められた町で車を下ろされる。基本的に1人で)
・道行く人に「アフリカのために募金しませんか?(※私が行くために)」と声をかける。
・商店街みたいなストリートでひたすら店を巡って、店長に寄付をお願いする
・信号待ちする車の運転手に声をかける。
・住宅地で一軒一軒呼び鈴を鳴らし、寄付をお願いする。
・許可を得たスーパーなど店の前で看板と缶を持ち、街頭募金スタイルの寄付金集め。(※写真がそれ)

の5種類をやっていた…。
今思い出すだけでも、辛い。そのくらい過酷な7週間を過ごしたという自負がある。
何百人何千人に「死ね」「クソ」と暴言を吐かれ、時には2階の窓からゴミを投げられ、またあるときは募金を盗まれそうになってスーパーの前で取っ組み合いのけんかになったり…。
一時期にはドアベルを鳴らすことも、お店に入ることすらも怖くなって全く稼げない時期があった。
道ばたで泣き出した時に優しくしてくれた人にセクハラされたり、もはや人すら信用できなくなったり、
本当に、何回泣いていたかわからない。そのくらい精神的にすり減ったし、追いつめられてもいた。
でも、嫌なことがあれば「これはしなくてもいい」と諦める癖があった私は、この7週間の地獄のファンドレイジングを乗り越えて変わった。
本当に強くなったし、ちょっとやそっとのことじゃ屈しない忍耐力を与えてくれた出来事だった。

◆物事は捉え方次第で価値が変わる

今回の記事はあくまでも「私が変わったきかっけ」の話であって、中でも特に大きく影響を与えてくれたものを書いてみた。
全く同じ体験を、これを読んでくれるあなたがしたとしても、私と同じ結果には絶対にならない。
どれだけ想像/対策をしても現実には色々なハプニングがあって、それを受け入れて
あれは良くなかった、これは良かった。後悔でも反省でも満足でもなんでもいいから自分のなかに落とし込んで初めて自分のものにできるということを伝えたかった。

次回は、後篇。残りの4つの実体験をプラス/マイナスな面から書いていこうと思います!

こちらへどうぞ⇒休学後、最初の半年間inアメリカ|【私を変えた現実7選】後篇

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中上 亜紀

中上 亜紀

高校の頃からアフリカに憧れていて千葉大学を3年生の後期に休学し、モザンビーク行っちゃいました。好きなことは話すこと。好きなものは人。 現在はマラウイで活動中。 中上 亜紀の詳細プロフィールページ
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