休学経験者が当時の経験や考えを語る共同ブログ
4.【インド】でボランティア|衝撃を吸収、そして就職活動…?
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前記事はこちら⇒3.【期待】を裏切る【現実】|想像を体感する大学生活のはじまり

 

夢追人がきっかけとなって、国際協力に強い関心を持った私は
2010年の夏に、インドを訪れていた。
なぜ、インドを選んだのかはわからないが
日本にそれほど近くなくて、途上国と言えば…!と頭の中でひらめき、
色々調べた結果、コルカタでのボランティアに参加することを決めた。

 

全てが衝撃。多すぎる野良犬、ウザすぎるインド人

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俗に、インドに行った人は2種類に分かれると言われている。

①人生観変わった!!!本当にいい所だから住みたい!!
②あんな汚い所、もう一生行かない。

この2つに分かれるらしい。

私の結論

<人生観なんてちっとも変わらへん。でも、絶対いつか必ず戻る。>

現地での2週間ホームステイ&ボランティアを経験しての感想がこれだった。
そして「たった2週間」の滞在だったのに、私にとっては全てが衝撃だった。

・ボランティア施設での介助方法
・道端に居る物乞いの多さ
・本当に毎食カレー食べる。しかも辛い。
・野良犬いすぎ。
・トイレに小さいシャワーが付いていて、紙でなく、水で洗う。
・今からお茶しませんか?というナンパの常套句。などなど・・・

全部伝えたいのは山々やけど、ここでは上位2つについて触れいこうと思う。
理由は簡単、ここからの私の選択に影響を与えたから。

 

日本との格差。”ボランティア”の限界

途上国の貧困をこの目で見るためにボランティアに行く!と意気込んで選んだ活動先は
東部の街、コルカタにあるマザーテレサの施設の一つ、DAYA-DAN(ダヤダン)。

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ここで、重度障害児のお手伝いを中心に掃除や洗濯など雑用を担当させてもらった。
そもそもの理由がボランティアだっただけに、英語に焦点を当てていなかったが
ホストマザーにはベンガル語(コルカタはベンガル語圏)を習っていた。
行ったことがある人ならわかっていただけるだろうけど、
現地のお手伝いさんは英語をあまり話さないためにベンガル語で指示を受けることが多い。
そのため、何かにつけて、彼らの行動をマネて行うしかできないことも多かった。
それが、この活動中に最も驚いたことの一つ。彼らの介助方法

食事の介助を手伝わせてもらったが、ボランティアである現地人の方法を観察していると
彼らは、障碍を持つ子供たちの口に絶え間なく食事を運ぶ。
もちろん、中にはむせている子もいたり…。
私が訪れる1週間前にも、食べ物をのどに詰まらせて亡くなった子供が2人いたらしい。
そして、掃除をするときにはこれでもか!って量の洗剤に浸した布で施設内を磨きあげ
洗濯も同じように泡たっぷりになるまで洗剤を使う。
しかし、洗濯に関しては水洗いを十分しないし、掃除においては乾くのを待つのみ。
あれだけ大量の洗剤は衣服や床に残り、その上を這ったり眠ったりする。

これが当時の、施設の実情だった。
ボランティアとして活動する人の限界が見えた気がした。
多くの仕事に追われ、ひやかしかもしれない外部からのボランティアにも指示をだしていると
どうしても手をかけてられないところもあるし、無視しなければならないこともある。
そしてなにより、日本のそれと比べてしまうこと自体間違ってる気はするが
障碍児をモノのように扱う姿勢には、いたたまれない感情を抱いた。
これが、非営利で活動する組織の限界を初めて感じた経験だったのかもしれない。

 

多過ぎる物乞い。雇われ?それともリアル?

赤ちゃんを抱いて、銀色のカップを振りながら近づいてくる子供や女性。
体の一部が無い人が、地面を這い蹲ったりいすに座って乞うていたり
中には、頭から血を流した子供を抱きかかえて、病院の診断書みたいなものを前に置き
ひたすらお祈りをしているお父さんもいた。

何が本当で何が嘘かわからない。 

あきらかに自分の子供ではない赤子を抱いてお金を乞うおばさんや
先天性であろう手合いが無い人、事故か怪我かで包帯を巻いた人、目がつぶれた子供など
ミリオンダラーベイビーでも知られた雇われ物乞いにも見える彼らは
どこにでも、当たり前のように、町の風景に溶け込んでいた。
彼らの前をインド人たちは、まるで空気かのように素通りする・・・
そして例外なく自分も、「外国人」として彼らに興味を示し、横目で様子を伺うものの
まるで彼らを見てはいけないものかのように、無視することしかできなかった。

いや、あのときの自分が考えた行動が【お金をあげない】という選択だった。

なぜかは今でも説明できないけど、あの時自分がお金をあげることが何かの正解になるとは思えなかった。
そしてこの後に訪れるどの国でも、物乞いを見たときにお金をあげることはほとんどなかった。
「貧困」すらも、誰かが作り出したマヤカシなのか?
誰かだ誰かを「貧しい人」に仕立て上げて、お金儲けをしようとしているんじゃないか?

そんな、もはや何が何だかわからない答えで頭の中をいっぱにしながら
毎日を”金持ちの日本人ボランティア”として贅沢しながら過ごして
たまに超えかけられる胡散臭い関西弁のインド人とか
英語を全く話さずにぼったくろうとしてくるタクシードライバーとか
とにかく、全てに不信感を抱きながら帰国した。

それから、夢追人も卒業して。(前記事参照

私が本当にしたいことは何だったんだ?

という、これまた漠然とした悩みを抱え、原点回帰する必要ができてきた。
そのまま迎えた大学3年生。
サークルにも身が入らない、あれだけ楽しかった夢追人での活動もない、来る日も来る日もアルバイト。
なんとなく学校へ行って友達に会う日々でも、
頭の片隅には、意識せずにはいられないある日のことがぐるぐると駆け巡る。

就職活動が、夏を超えれば幕を開ける。

インドでどんな現実を見て、全てに対して不信感を抱いて帰ってきて
それでもやっぱり自分は「貧困」というものを突き止めて
その道で進んで生きたいと思っていたのは確か。

じゃあ就職活動はどうしよう?
NGOとかNPOで、より現地に近いところで働く?
JICAとか国連とか、大きい機関を目指す?
商社とか、海外と多く繋がる企業で働く?
BOP?マイクロクレジット?ナニソレ・・・

いやいや、そもそも何からアプローチしようかなー
食糧問題?衛生環境?水の確保も大事やし、紛争解決/平和構築にも興味あるな・・・
全ての根本として教育も関ってるし、HIVとかの問題も大きいって本で読んだし・・・

これが当時の私の脳内。
一言で表すならば

何をしていいかわからない。情報が選べない。

選択肢の多さが余計に不安を駆り立てて、当時の私は本当に何をすればいいのか、何をしたいのかをわかってなかった。
「アフリカに行きたいのにな。どういう方法からアプローチすればいいんだろう。
就職なんて一生に関ることやし・・・どっから攻めよう。」
そして、ひらめいた。

じゃあアフリカに行けばいいのか。

そして今回は、インドのときのように短期じゃなくて、もっと長い間現地で生活して、彼らのリアルを体感したい。
不信感とか疑問とか全部ぶつけて、この目で見て、この体で感じて、自分の言葉で消化したい。

 

2011年5月23日

私は3年生の後期から休学することを心に決め、アフリカに行くために親を説得し、
夏以降からは、夢の大陸アフリカへ向けての研修に参加できることになった。

※当時のインド記を載せてます。興味のある人はどうぞ↓
【PEACEMAKER】 『笑顔』と『幸せ』のシェアで世界を『平和』に

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中上 亜紀

中上 亜紀

高校の頃からアフリカに憧れていて千葉大学を3年生の後期に休学し、モザンビーク行っちゃいました。好きなことは話すこと。好きなものは人。 現在はマラウイで活動中。 中上 亜紀の詳細プロフィールページ
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